本当にこの一年で、人生が大きく変わりました。
行動しだしたら、いろいろなことが舞い込むようになりました。
ちょっと勇気を出して新たな環境に飛び込んでみると、そこで新たな人とのつながりが生まれました。今まで知らなかったような情報も入るようになりました。
そして新たにつながった人に紹介してもらったイベントに参加したり、新たに得た情報について自分なりに調べてみたりしました。
この繰り返しの中で、多くの人との縁と、幅広い分野の情報を得ました。
ところが…
世界が広がっていくにつれて、自分自身が若干迷子のような状態になりました。
変化が急激すぎたのかもしれません。
1月の終わり頃、ちょうど体調が優れない時期も重なり、やる気が起きず。ブログの更新もその頃から停滞気味になりました。
ところが…②
こうなる状況を予測していたのか、
「読書のすすめ」で購入した本をじっくり読む、良い機会になりました。
清水店長と植松さんの対談本を読んでいたこともあり、
この対談シリーズを読み漁りました。
どこかの本で清水店長が、
「一冊ではなく、その人の書いた本を徹底的に読め」
的なことを書いていました。
ちょうど私は清水店長の本を、多く読むことになりました。
一時はすべてを投げ出し、
「ただずっと清水店長の本を読んでいたいー」
という状況になりましたが、これらの本を読む中で自分が大切にしていた「しん(信、芯、心)」を思い出しました。
自分の中に縦糸がすっと一本通っていれば、新たな情報が舞い込もうとも、状況が変わろうとも、「しん」が揺らぐことはありません。新たなものを取り入れながら、上手く対応できます。
しかし縦糸が通っていないと、人の考えや環境に流され、「しん」が揺らいでしまいます。
これまでの私は、そこまで行動的ではなかったので問題なかったのでしょうが、急激に人とのつながりや情報が広がりました。横糸ばかりが張られる状況だったので、縦糸がグニャっとしはじめていました。
今回、こうして縦糸を強化できたので助かりました。
いや、それさえも予定されていたことなのかもしれませんが笑
教員としての「しん」は、やはり『学び合い』。
『学び合い』の良いところは、「考え方」であるから、新たな情報や技術を取り込むことができ、変化にも対応しうるところです。
過去の教育研究を否定するのではなく、良いところや生かせるところは全部取り入れてしまう。そんなこともできます。
また他の実践者のやり方を参考にしつつも、それに囚われ過ぎないことも大切です。囚われることで『学び合い』が「考え方」ではなく「方法」としての見方が強くなってしまいます。「私の『学び合い』」は、日々の私の実践の延長にある。そう思って私は私にやれることをやります。独立します。
そして生き方の「しん」はこれ。
今後はまた変わっていくかもしれませんが、今はこれが私の生き方の教科書です。
西郷さんになった気分。
新たな物事が舞い込んでも、この「しん」に照らし合わせれば迷子にならずに済みそうです。今後も突き進んじゃいますよー
これらの本を読むきっかけをくださった、「読書のすすめ」の小川さんにも感謝です。
おもしろおかしくやるんべぇ♪