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THEゆとり世代。さとり世代とも言われる世代「ふたば」の見方や考え方、そして日々の学びをまとめたブログ。

『学び合い』ってどうやるんですか?【③心構え編】

 

これまでに『学び合い』というものはどういうものか、私なりの捉え方をまとめてきました。

www.futaba1107.com

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関連書籍については【①そもそも編】の中で合わせて紹介しているので、参考にしてみてください。

ある程度どんなものか伝わったでしょうか。

 

 

8月も終わりが見えてきました。もうすぐ2学期が始まります。

それまでに「どういう風にやったらいいのか」という部分についても紹介していきたいと思います。今日は教壇に立つ前の「心構え」について。是非この時期に自分なりの考えをもって取り組めるといいなと思います。

 

何を目指すのかはっきりし、語れるように♪

『学び合い』では、「学力」を、「多様な人と折り合いをつけながら、自らの課題を解決する能力」と捉えています。そして「学校」はそういう能力を育むことのできる場と捉えています。

 

つまり、困ったときに人を頼れる、得意なことについては還元できる、自分の意見も相手の意見もうまく生かすような自他不敗の考え方を身に付けるといった「コミュニケーション能力」を育むことです。

人それぞれ考え方は違います。考え方の違いから行動も違います。それを受けいれられる心を、多様な人との関わりからどれだけ広げられるかだと思います。難しいことだとは思います。でもそういう経験を重ね力を高めた子とそうでない子、将来どちらの方がより生き生きと楽しく過ごすことができるかと考えれば、明らかだと思います。

 

それを生かして、「自分の課題を解決する」。

人それぞれ成し遂げたいことは違います。みんな一緒だったらこの社会は崩壊してしまいます。それぞれ違ってそれぞれの分野で活躍しているからこそ、今の社会があります。「自分一人でできること」が良いように思われがちですが、では自分一人で何でもやっている人って誰が思いつくでしょうか。

「自立とは多くの依存先をもつこと」という考え方が、わたしにはしっくり来ています。おうちの人だけでは、いつ頼れなくなってしまうかわかりません。仲の良い友達も、いつまでも傍にいるわけではありません。もちろんこうした深いかかわりを持つ人とのつながりを大切にしつつ、新たな人との出会いも大切にする姿勢が大切だと思います。

 

自分の使命や目標を達成するときに、上手くいかないことや困難なことがあります。でもそのことを容易にこなしてしまう人もいます。そうした人とのつながりがあれば頼ってしまえばいい。そうやって自らの課題を解決してしまえばいいだけのことです。

ただ独りよがりではなく、代わりに誰かの手助けをできるような、そういう姿勢が必要ですが。

「一人も見捨てない」と言葉にすると強く伝わりすぎてしまいますが、こうして伝えると「みんながみんなのために」することの良さを伝えることができると思います。

 

あとはこれらを日々の学習に関連させながら、繰り返し語っていくことです。堅苦しくする必要はないと思います。

国語の漢字練習の場面で、算数の計算練習の場面で、体育音楽図工など技能を獲得する場面などで、どう語ったらこれらを感じてもらえるか考えます。それは語り手である一人ひとりの教師によって違ってくるところだと思います。

私の場合は、

「確かに逆上がりできなくても人生困らないかもしれないけど、自分だけできてかっこつけてるより、できない人をできるようにしてあげられる方がかっこよくない?」

「あなたに計算の仕方を教えてもらった人が嬉しくて、ほかの場面で誰かの手助けをするかもしれない。こういうつながりが広がっていって、ある時あなたが困っているときに助けてくれるかもしれない。こういうつながり良いよね、そのスタートを切るのはあなたかもよ。」

なんていう風に語ってます。

 

ちょっと押しつけがましいところもあるかもしれませんが、別に洗脳して自分の配下にしたり物を売りつけようとしているわけではないので。願っているのは教え子たちの生涯を通しての幸せです。

 

ところで何のために『学び合い』?

 

ここまでを読んでいただいた方には、『学び合い』がただ単にテストの点数の向上や表面的なコミュニケーション力を高めようとしているわけではないことがお判りいただけたかと思います。

確かにテストの点数は向上します。なんと言っても底上げがされていきます。分からないときに「分からない」「教えて」って言えるのですから。また一時間単位ではなく単元レベルで進んでいくことにより、想定より早く進みます。その分の時間をテストのための復習などに使うこともできますし、学テのB問題的な演習に充てることもできます。

 

テストの点数を上げることが目的ではありません。あくまで結果としてそういう時間を多く作れただけということです。そうすればテストの点数が上がるのは自然な流れです。

かくいう私が抜群の結果を出しているかというと、そんなことはありません。平均的かそれよりちょっといいくらいです。

テストの点数を上げることに、子どもたちの貴重な時間を使うことが馬鹿馬鹿しく感じてしまうからです。ならば一冊でも多くの本を読んで自分の世界を広げてほしい。絵や文をかくなど創作的なことにしっくりと時間をかけてほしい。そう思います。そうやって身に付けた力はきっと将来何かの場面で役立つと思いますし、没頭するという経験を積むことで、受験勉強などの場面には集中力を発揮できると思います。何のために受験をするのか、自分はどうなりたいのか、というビジョンをもって受験に挑むこともできるかもしれません。

 

人間関係についてもトラブルが起こらないとか、Q-Uの学級満足群だらけになるとかそういうことではありません。

むしろいっぱいトラブルが起きます。それまで一人ひとりのつながりが弱かったところで、関わり合いが増えるのですから。でもそれを経験して折り合いのつけ方を学んでいきます。同じようなことを繰り返すことは少なくて、トラブルもより高度なものになっていきます。もちろんその中で辛い想いをすることもあると思います。でも学校でこういう経験をしないまま社会に出てしまったら…

学校は周囲の目があります。教員が第3者的な立場で両者の仲裁に入れます。学校という許される環境で、大けがしない程度の「失敗」を経験しておけるって、実は素晴らしい経験のように感じます。

 

 

 

何のために私が『学び合い』を取り組むのか。

それは

世界を、宇宙をよりおもしろおかしいものにするためです。

 

一気にヤバいにおいがしてきました笑

 

でも意味があります。もう少しお付き合いください。

 

 

今変化の激しい世の中です。2040年問題なんて、相当なもんだと思います。

くわしくはこちら。 

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一つ訂正。2040年にはまだ総人口は1億人を下回らないそうですね。それはもう何年か後のことのようです。

 

 

これまではこのことを悲観的に見てたんですけど(まぁ今もですけど)、

そんな心持ちでいても仕方ないわけです。来るべくして来る未来。

「こんな社会に誰がした!?」って言っても仕方がありません。これまた正義と悪がぶつかり合ってしまうだけです。誰のせいでもありません。私たち一人ひとりがこの社会を作ってきたのです。私たち一人ひとりが正義であり悪です。

ならばこんな状況であっても、日々を楽しく過ごす中で解決策を見出していきましょうよ。逆に言えば、未曽有の状況でこれからの社会を作っていけるのも私たち一人ひとりなわけです。ならば今よりもっとおもしろおかしいと思える社会にしていけばいいだけの話。(ただパリピってるだけとは違うよ)

これまでの常識は常識ではなくなる。新たな常識を作りだすことを楽しめばいい。そう考えるとわくわくしてきます。

 

そして世界各地に今の日本の後追いをしている国があります。

日本がここを乗り越えることは、世界各地の様々な国に影響します。日本が変わることは世界が変わることにもつながります。

 

これからの大きなテーマは「食」。それにはこれまで軽視してきてしまった「自然環境」も関わってきます。これは世界中の人類だけでなく、地球環境も含めた規模の話になります。そうすれば地球が変わります。宇宙規模の話です。

 

なんて話を膨らませすぎているけれど、こんな風に自分たちがやっていることが世界を、宇宙をよりおもしろおかしくするために繋がっているんだって思えたら、日々のちょっとした悩みなんて何とも思わなくなります。心豊かに生活できます。そして行動するエネルギーを宇宙全体からもらえます。勝手に思い込んでやってればいいだけです。誰かを傷つけているわけではありませんから。

 

 

今後の未来に対して教育が担っている役割、ものすっっっっっごく大きいです。

『学び合い』の担っている役割も、このレベルの話だと私は思っています(^^)