先日の記事。
この方の本を読み、こんな記事を書いたら、周囲の方々に半ば強引に出家の方向に誘導されそうでした。
確かに僧侶の方の本を読んでいますが、別に仏教の信者ってわけではありません。
そもそも無宗教ですから、私。
今回、志体術の体験会というものがあり、そこでレノンリーさんと初めてお会いすることができました。
この方のYoutube動画は頻繁に見ていたので、知識はありました。
しかし実際に体験することはなかったので、それができ、とても良かったです。
ここからの内容はレノンリーさんの動画を観て学んだことが中心です。
でもそれらがどの動画で言っていたことなのか、もう分かりません。
別の何かの本で学んだことや誰かに聞いた話なども混ざっています、きっと。
そこにさらに自分が感じたことも混ざるという何とも複雑な感じなのですが、お付き合いいただけたら幸いです。
悟ろうとするから悟れない。
これは夢や目標の叶え方でも良く言われていることに近いです。
「〇〇をしたい」と思ったら、その前提には「〇〇ができていない自分」が必要となる。
そうやって潜在的に、できない自分を自分で生み出してしまう。結果として叶わない。
だから過去完了形で、すでにできている自分を思い描くことが大切。
悟ることについてもそうだと思います。
もうすでに悟っているんです。
しかしそれを大脳優位な考えが邪魔をしてしまうのでしょう。
私はたかだた28年で得た知識と経験でしか、頭で判断をすることができません。
仏教の歴史だって2500年位しかありません。頭で考える基となるのは、結局それくらいの情報です。
しかし生命誕生から脈々と受け継がれている遺伝子やDNA。それは約40億年分の情報をもっています。どちらがより本質的な情報か、それは言うまでもないと思います。
頭より体優位に。頭ではなく体のほうがむしろ本質なのではないか、というのは以前にまとめたことがあります。
ということで、遺伝子やDNAからの情報を受け取れるようになること=悟りと考えました。
その方法が瞑想であったり、今回学んだ志体術であったりするのだと思います。
こうした情報を受け取るためには、自分をゼロ化すること。
ニュートラルな状態であるからこそ、様々な情報を受け取ることができる。
観自在とか、
照見五蘊皆空 度一切苦厄とか、
色即是空 空即是色とか、
考えてみれば、「あー。なるほどねー」って感じ(^^)
すべては仮想現実。
どう見ようと、それは全て自分次第。
この世はすべて自分が創り出したものにすぎない。
そしてすべては0であるし∞でもある。
良かったー。
出家しなくて済みそう。
頭丸めなくても、滝に打たれなくても大丈夫そう。
とりあえず正体禮法と志を声に出すことを毎日続けます!
あとタテゴシも!
なぜ人間が存在しているのか。
人間は地球上で唯一の、何か新たな物事を想像し創造することのできる存在。
それが私利私欲を満たすために存在しているだけだとしたら、人間は地球上に必要なのだろうか。生存に必要な分以上に他の生命を奪っているし、環境も破壊している。
人工知能に「人間は害悪しか生まない。不要。」という判断をされないように、
人類だけでなく、全生命、全宇宙にとって、
より良く、より明るく、より楽しい世界を創り出すこと、
そのために志を立て、自分なりに貢献していくこと、
それが必要なんじゃないかと思います(^^)
おもしろおかしくやるんべぇ♪