先日、道徳の研究授業がありました。
実習生のではなく、私のです。
タイミングが被ったので、なかなかハードでした…
もちろん『学び合い』は表には出しません。
でも日々の『学び合い』の中で培われた力が、存分に発揮されたのではないかと思います。
一斉授業型でやっても、どんどん発言するし、どんどん書き込むんです。
これはいつも、たくさん喋り、たくさん書いているからでしょう。
研究授業に向けて、その単元は力を入れる、なんてことをしますが、
こちらは4月当初からそんなペースでやっています。
発言したり書いたりしようとする、そもそもの気持ちや力が高まっているので、たとえ一斉授業型になったとしても何ら問題ありません。
そして間違いや失敗を恐れません。
日々、間違いや失敗をたくさん繰り返しているので。
記述の中にはちょっと的を外れたようなものもあります。
でもそれを書いてくれるから、発言してくれるから学びが深まります。
イレギュラーな発言があっても、
「え…?」
みたいな感じにはなりません。
「〇〇さんが言っていることはこういうことなんじゃないの?」
と、誰かのフォローが入ります。
これも日々の『学び合い』の中でやっていることです。
間違いや失敗を指摘されすぎると、意欲が下がります。
結果として課題を全員が達成することができなくなります。
そういう経験をしているので、フォローも上手です。
こうした日々の学びを通した成長を感じる機会となり、
授業に対する良い点や改善点も聞くことができ、
授業者である私が最も学び多く、そして最も幸せな時間を過ごしたと思います。
感謝感謝です(^^)
その反面、申し訳ないなと思います。
参観してくださる先生方のクラスの子たちは、「自習」になってしまうのですから。
全国や全県レベルの研究授業なら、授業者のクラス以外は下校、という措置を取ると思います。
しかし市町村や校内レベルの研究授業なら、自習で済ませるでしょう。
移動の都合もあるので、研究授業も午後が多いです。
「どうせ自習して帰るだけなら、給食食べおわったら帰って家で勉強します。」
こういう子が出てきてもおかしくないと思います。
私ならそうやって帰ってゲームします。
今後は「自習」が通用しなくなってくるように思います。
おもしろおかしくやるんべぇ♪