よく、「教室の空気」とか「教師のカラー」なんてことが言われます。
この間の記事。
この時は、なんでこんなに考えが深まっていったのか、よく分かりませんでした。
でも教室の全体の空気?雰囲気?が、どんどん学びを進めていくような、そんな感覚はしていました。
過去を振り返ってみた時、同じような空気を感じたことがあります。
それは、
村松さんの開華の塾を見に行った時でした。
特段変わった講義をしているわけではありません。
でも来た子からどんどん自分のやるべきことを進めていました。
それを見ながら、「この雰囲気なら、そりゃ勉強するよなぁ」と、妙に納得させられる感じもしました。
その「場」なのか、それともそこに集まる「人」なのか、それはよく分かりません。
でもそこから発せられる、波? 振動? 波動? 周波数?
こういうものが作用しているのかなぁと感じました。
村松さん的に、ここからは周波数の単位「ヘルツ」を使い、感じたことをまとめていきます。
先ほど言ったように、「場」そのものなのか、そこに集まる人が発しているヘルツが作用しているのか分かりませんが、とにかく「開華」はヘルツが高いのだと思います。だから誰かが特段なにかをする必要なく、自然と深い学びが為されていく。しかもただ単に「受験に合格したい」といった目標ではなく、もっと高次のミッションを掲げて取り組んでいるので、更にヘルツが高まるのだと思います。
これって『学び合い』もそうですね。
短期で見れば、その時間の課題達成が目標ですが、長期で見ればもっと高次なミッションがあります。
「自らの心に響き他者の心にも響く実践を通して、日本を変えていくこと」です。
こうしたミッションのもとであるから、あの時にもの凄い学びの深まりが見られたのかなと思います。
一斉指導の際、教師の発するヘルツが大きく影響するように感じます。
子どもたちは教師のヘルツに合わせようとします。
それよりも高すぎたり低すぎたりすると、教師に「合わず」、苦痛になってしまいます。
しかし『学び合い』ではミッションのもと、互いに高め合っていこうとします。この高め合うものこそ、学力とかを超えた、個々のヘルツなのかもしれません。
誰かのふとしたヘルツの上昇に感化され、自分のヘルツが高まる。
逆に自分のヘルツの高まりが誰かに作用する。
子ども同士の会話を聞いていると、「本当にそれ、伝わってるの?」と感じることがあります。でも意外と教師が丁寧に説明するよりも伝わっていたりします。これも、互いに学び合う同士のヘルツが合っているからなのかもしれません。
こうやって学び合う中で、集団としてのヘルツが高まっていきます。
これが集団としての成長、ということなのかも。
それが進んできたからこそ、この間の道徳の時間の考えの深まりが生まれたのかなと思います。
子どもの中には、「何回目の輪廻ですか?(そもそのあるのか分かんないですけど)」と思うくらい、すごいなと感じる子がいます。
自分よりどれだけ高いヘルツなんでしょう。
子どもから学ぼうとする教師というのは、子どもから学ぶことにより自分のヘルツも高めようとしている教師、ということなのかもしれません。
以前、力量のない教師のアクティブラーニングよりも、力量のある教師の一斉指導の方が作用が大きいというようなことを記事にしました。ヘルツの話がそれにも関わるような気がします。
短期間で見れば、高いヘルツを発する教師のもとの方がより大きな力を発揮できると思います。でも教師に左右されてしまう可能性があります。また教師のヘルツに合わせようとするわけですから、そこを超えるような力は生まれにくいかもしれません。今はいいかもしれないけれど、長続きはしづらい。そして何より、その教師がいなくなってしまうと、その集団のヘルツが一気に下がります。というより、どこのチャンネルに合わせていいのか分からないような感覚に陥ってしまいます。
逆にあまり力量のない教師。その時を見れば、力量のある教師に及ばないかもしれません。しかし教師自身も子どもたちとともに学び合い高め合うことにより、個々を見ても集団的にもヘルツが高まっていきます。それは加速度的に上昇していくと思います。
それを続けた先には、教師が一人で引っ張り上げようとしても到底出せないような力を発揮できる集団になっていくのかな、と思います。
何が言いたいのかよく分からなくなってきました。
崩壊しかねないので、ここで終わりにします(^^)
おもしろおかしくやるんべぇ♪