おもしろおかしくやるんべぇ~ゆとり世代も悪かねぇ~

THEゆとり世代。さとり世代とも言われる世代「ふたば」の見方や考え方、そして日々の学びをまとめたブログ。

山奥ニート、の話。

 

今回読んだ本はこちら。

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「山奥ニート」やってます。

「山奥ニート」やってます。

 

 

この本はオリラジのあっちゃんこと、中田敦彦さんのYouTube大学で紹介されており、

そこで初めて「山奥ニート」について知りました。

 

www.youtube.com

www.youtube.com

www.youtube.com

 

YouTubeの動画で、おおまかに理解していましたが、

 

「著者の石井あらたさんの文章で読みたい」という想いと、

「他のニートの方の話を知りたい」という想いから、

本を探して読んでみました。

 

この本に書かれている内容には、ほとんど同意見。

私も週末は山奥に引きこもってますし、

なるべく暇でいたい、あれこれ煩わしいものから解放されたいですし、

シンパシーを感じました笑

 

 

それに、ニートと言っても、いろいろな形があるんですね。

ニートも結構働いてます。

地域の人の役にも立ってますし。

 

 

 

サボる働きアリや働きバチの話。

一定数サボるアリやハチがいるからこそ、緊急時に対応できる。

みんながみんな必死に働いていたら、余白がなさ過ぎて緊急事態に対応できない。

 

私の日々の仕事も、いつ何が起こるか分かりません。

だからなるべく余白の時間を、暇を作るように心がけています。

 

 

世の中にはお金はあれど、時間がない(忙しかったり、残された時間が少なかったり)人もいれば、

お金はなくとも、時間がたっぷりある、彼らのような人もいます。

 

自分にできることがあり、できないことがあるから、

お互い尊重し合い、助け合うことができる。

もっと素直に、甘え合い、頼り合えればいいのになぁと思います。

 

 

週末は山奥で開拓を楽しむ私、

この本からたくさんヒントをいただきました。

 

良い本に出合いました。

ありがとうございます✨

 

 

いつかはこの「共生舎」にも行ってみたいなぁ(^^)

 

 

おもしろおかしくやるんべぇ♪

「今ない仕事」の話。

 

 今回読んだ本はこちら。

 

児童向けの本ではありますが、

大人が読んでも面白いと思います。

 

 

よくある有名な言葉。

 

「(今年)小学校に入学した子供たちの65%は、大学卒業時に今は存在してない職業に就くだろう」

 

2011年に、ニューヨーク市立大学のキャシー・デビットソン教授が、

ニューヨークタイムズ紙のインタビューで語った言葉です。

 

 

www.con3.com

 

しかしこちらの記事にもあるように、65%の根拠が、

実際は極めて曖昧なようです。

 

引用するなら、ちゃんとその根拠を考えて判断しないとですね。

 

 

 

そしてまた有名な言葉。

「2050年には、現在ある職業の47%はAIによってなくなる」

 

こちらはオックスフォード大のマイケル・オズボーン教授が、

2013年に発表した「未来の雇用」という論文で予測したものです。

 

702の職業を、AIやロボットによってどれだけ自動化されるかを計算し、

そのうちの47%が置き換えられるリスクが高い、と示したものです。

 

ということは、この702の職業に含まれなかった職業については断定できません。 

そしてリスクが高いというだけで、その職業全てがなくなると言っているわけでもありません。

 

例えば、比較的安価でメジャーなロボットによる介護と、高額になる人の手による介護、というように、

その職業の主流が変わったとしても、一定数は今ある職業は残るのではないかと思います。

まぁ、ロボット介護と共存する「人の手による介護」は、今の介護職とは違う新しいもの、ということもできるかもしれませんが。

 

 

 

この2つを、文科省も「教職員等の指導体制の在り方に関する懇談会提言」の中で取り上げているわけですが、

www.mext.go.jp

 

この65%と47%という数字と、ハッとさせられる文章から、

 

「今ある仕事の半分は無くなるから、生き残るには今ない仕事を生み出すしかないよ。」

 

と誤った解釈をしかねないな、と思います。

子供に読ませようと思うなら、こうした点をちゃんと大人が分かっていないとね(^^)

 

 

現状を見ると、

このコロナ騒動で一気に有名になったのがオンラインサービスに、zoomやslackがあります。zoomは2011年から、 slackは2013年から。

それ伴いオンライン上でセミナーを行う、なんてものも増えています。

確かに新たな仕事がどんどん生まれ、その存在感を増しています。


しかしこうしたものが増えれば次第に淘汰され、よりよいものいくつかが生き残るだけでしょう。

 

 

根拠のない、私の感覚ですが、

今後、世界で主力になっていく業種の65%くらいは、

確かに2011年には存在しなかったものになっているかもしれません。

 

ただ子供たち65%が、そうした業種に就いているかと言えば、そこには疑問が残ります。

 

今後主力になる業種に就き、最前線で活躍する子が一部はいるものの、

多くの子は今ある業種に就いているのではないかなぁと。

 

とはいえ今ある業種も、いつまで存在しているかは分かりません。

仕事をしながらスキルを磨き、他業種の人とのつながりを持ち、

いざというときには転職できる、新たに企業できる準備は怠らない方が良さそうです。

 

 

 

前回読んだ本、

www.futaba1107.com

 

この著者の出口先生へのインタビュー記事が、「今ない仕事図鑑」に載っていました。

 

「教えるということ」の中で、

「どんな教育を受けてきたのか」という質問に対し、

「両親にはいつも『なんで?』と問い返された」と答えた女性の話が取り上げられていましたが、

その女性と思われる方のインタビュー記事も、「今ない仕事図鑑」に載っていました。

 

 

個人的に一番驚いたのが、

こども六法

こども六法

 

この著者はすごく若い方で、

「こども六法」はクラウドファンディングによって書籍化を実現していたということです。

 

 

 

 

自身の過去の経験が、どのように今の仕事に結び付いているか、

そうしたその人の生きざまが表れているので、

「今ない仕事図鑑」を読むならば、それぞれのインタビュー記事がおすすめです✨

 

 

 

巻末に載っている、自己分析シートも、

やってみたらおもしろそうです(^^)

 

 

 

今ない仕事100が紹介されていますが、

これは実現可能かは分かりません。なにせ「今ない」のですから笑

 

ただ、世の中の変化や新たな研究成果などから、

「どんなことができそうかな」

と考えてみるきっかけとしては良いかなと思います。

 

 

久々に児童向けの本を読みましたが、

考えさせられることがいろいろとありました。


ありがたや(^^)

 

 

おもしろおかしくやるんべぇ♪

「教えるということ」の話。

 

今回読んだ本はこちら。

 

 

立命館アジア太平洋大学(APU)学長、出口治明さんの

「『教える』ということ」という本です。

 

 

「教えるということ」と言えば、大村はま先生が有名ですね。

読んだなぁ。懐かしいなぁ。

新編 教えるということ (ちくま学芸文庫)

新編 教えるということ (ちくま学芸文庫)

  • 作者:大村 はま
  • 発売日: 1996/06/01
  • メディア: 文庫
 

 

 

それでは、出口先生の「『教える』ということ」を読んで心に残ったこと、

考えたことなどをまとめたいと思います。

 

 

教育の2つの目的

 出口先生が、教育基本法が定める教育の目的を解釈し言語化したのが、

 

①自分の頭で考える力を養う。

②社会の中で生きていくための最低限の知識(武器)を与える。

 

 

の2つ。

 

そのために、まずは先人の真似をするところから。

「学ぶ」は「真似ぶ」。

 

 

英国の名宰相、ウィンストン・チャーチルの言葉

 

「自分を含めて選挙に立候補するのは、目立ちたがり屋やお金儲けをしたい人など、ろくでもない人ばかりである。」

「選挙というのは、こういった信用のおけない人たちの中から、相対的にマシな人を選ぶ忍耐のことである。」

「したがって、民主政は最低の政治形態である。ただし、これまで試されてきた王政や貴族政など過去の政治制度を除けば。」

 

 

なるほどなぁ。

 

 

「年金はもらえなくなる」は誤った俗説にすぎない

 

出口先生が、公的年金保険を信頼する3つの理由。

 

①年金は所得の再分配だから

社会保険料は、いわば特別目的税の一種。市民から集めて、働けなくなった人に配る「所得の再分配」。市民がいる限り、集め方と配り方を工夫すれば破綻はしない。

 年金は、税金を集め分配する政府の機能と同じ。

 

 

なるほど。納得。

 

②年金より安全な金融商品は存在し得ないから

→金融機関がいくつか潰れても国は潰れないが、国が潰れたら金融機関も潰れる。

 国より安全な金融機関は存在しない。

 

 

なるほど。納得。

 

③経済成長と良い政府のみが年金を担保するから

→経済のパイが大きくなったら、税率は一定でも、原資が増えるので年金は増える。

 まだ日本は成長できる、投票率を上げて良い政府もきっとつくれると信じているので、年金の将来には楽観的になれる。

 

ん?

経済成長していく前提だけれど、本当に経済成長していくのか、

その辺がちょっとよく分からず、ここは納得いかず。

 

 

ドルコスト平均法よりも儲かる投資方法

 

それは自分に対する投資。

中国語や英語ができれば、より高い給与の職が見つかりやすくなるだろう。

欧米の先進国では、社会人になっても勉強を続け、新しい資格や学位を取ることで、生涯給与を増やすことが最高の投資手段と考えられている。

 

 

これは全くその通りだと思います。

自分に対する投資もしつつ、

応援したい特定の誰かや何かに投資をしていくのも良いと思う(^^)

 

 

エピソードではなくエビデンスで考える

 

パリに遊びに行って帰ってきた友人がこんな話を。

「デパートで何かを買っても、店員はニコリともしないし、包んでもくれないんだよ。それに比べれば日本人の何と優秀なことか」と。

 

それに対し、

「この四半世紀、日本の正社員は2000時間労働で、成長率は1%もいかない。フランスは1500時間労働で、1~2%成長しているよ。」

 

友人はすぐに気づいて、

「自分としたことが、エピソードで話してしまったな。日本人のデパートの店員は優れた仕事をしているのに、マネジメントがなっていないから、マネタイズできない、あるいは生産性の向上に結び付けることができないのだな。だから骨折り損のくたびれもうけで、社会の閉塞感が強まっているんだな」と。

 

労働時間が短ければ短いほど、成長率が高ければ高いほど良い、とは言い切れませんが、

データや統計はごまかすことはできないので、その点に関しては信用できます。

 

信頼度の高い情報を得て、それをもとに自分で考え行動する。

そうした習慣を身につけたいところです。

 

科学的に見ても、父親が子育てをした方がいい

 

女性が出産する際には、脳内で「オキシトシン」というホルモンが大量に分泌される。

オキシトシンは別名「幸せホルモン」「愛着ホルモン」「絆ホルモン」とも呼ばれ、母親は赤ちゃんと深い絆で結ばれる。母親が子育てを厭わないのは、オキシトシンが分泌されているから。

 

一方男性の場合は、オキシトシンは自然には分泌されない。

「子育て」というプロセスを経ることでオキシトシンの分泌が促され、子供に対する愛情が芽生える。

子供がかわいいから面倒を見るのではなく、面倒を見るからかわいいと思う気持ちが生まれる。

 

ここでも出ました、オキシトシン(^^)

 

3歳児神話」は「3歳児デマ」

 1998年の厚生白書より、

 

・「母親と子どもの過度な密着はむしろ弊害を生んでいるとの指摘も強い」

・「欧米の研究でも、母子関係のみの協調は見直され、父親やその他の育児者などの役割にも目が向けられている」

・「特定の者との『愛着』関係が発達することは大切だが、基本的信頼感は、乳幼児期に母親が常に子供のそばにいなければ形成されないというものではない」

・「保育所や地域社会などの支えも受けながら、多くの手と愛情の中で子供を育むことができれば、母親が孤立感の中で子育てするよりも子供の健全発達にとって望ましい」

・「子育てに他人の手を借りずにすべてを自分でやり遂げるということだけが、子ど育てにおける親の責任の果たし方ではない」

 

またホモ・サピエンスの長い歴史を見ると、働けるものが働き、子供はみんなで面倒を見る集団保育で社会性を獲得してきたのだそう。

 

確かに。そうじゃなければ子育てが大変すぎて、とっくに絶滅していてもおかしくないよなぁ。

 

というわけでヒトという種には、「子供を保育園に預ける」方が健全で正しい選択なのだそう。

 

 

 

中学生で会社をつくって社長になり、活動している女性の話。

 

「どんな教育を受けてきたのか」と聞かれると、

 

「お父さんもお母さんも何も言わなかったけれど、私がお菓子が欲しいとねだったときは、『なんでお菓子が欲しいの?』と聞いてきた。そして、なんで欲しいのかを説明できなかったら、買ってもらえなかった。」

 

「なぜ?」と自問自答することで、「自分の頭で考えて、答えを探す」ことが習慣化されたのではないか。

 

これは学校でも大切にしたいこと。

 

 

最初に型にはめなければ、型破りの生徒は生まれない

 

やはり最初は真似をすること。

良いレシピを真似できなければ料理も上達しないのと同じで、

考える力を鍛える時も、優れた考える力を持った先人たちの思考パターンを学ぶことが大切

 

守破離だね。

 

 

人間の向学心や好奇心は18~19歳にピークを迎えるそうで、

このときに学習習慣を身につけておくと、大人になってからも学び続けるそう。

 

塾に通わせて知識を詰め込めば、テストで好成績を上げることができる。 

しかし「分からないことがあったら調べる」「疑問に感じたことの答えを見つける」という本当の意味での学ぶ習慣が身についているか。

 

疑問を疑問のまま残さず、腹落ちするまで調べて、腹落ちするまで考えてみることが大切。

 

一つひとつ、そうそう、うんうんと思うことばかり(^^)

 

 

 大人にできることは、子どもたちに広い世界を見せてあげること

 

学びという姿勢は、テクニックを暗記するだけでは身につかない。自分が腹落ちして見つけるものであって、人に教えてもらうものではないかもしれない。

教師の方にも「自分には教えることができないことがある」という自覚が必要だろう。人間はそれほど賢くない。それなのに人は傲慢になりがちで、「何でも教えることができる」と勘違いをしてしまう。まず、「教室や教科書で教えられないことが山ほどある」と自分の限界を認識した上で、「ではどうすればいいのか」を考えることが大切。

 

「教える」から「学ぶ」にシフトしていかないといけない。日本の教育の問題点は、「自ら学ぶことを、教えようとしていること」

 

大人にできることは、広い世界を見せること。自分がロールモデルとなること。

あるいは知識の一部を分かりやすく教えること。それくらいしかできないのではないか。

 

「自ら学ぶことを、教えようとしている」

なるほどなぁ。確かにそうだ。

 

 

オンライン教育のデメリット

 

 

オンライン教育をしてみたところ、あまり上手くいかなかったという過去から。

 

なぜオンライン教育が上手くいかなかったのかを考えてみると、おそらく、教育に必要なものは、学ぶべき情報内容だけではない。

「その先生から学びたい」というモチベーションも必要なのではないか。

 

オンラインでの授業でも実績のある先生は登場するが、インターネットやYouTubeだと、生徒は畏怖を感じにくい。近づきやすさと近づきがたさのバランスが必要なのに、オンラインではそこが表現できない。

 

オンラインでも知識を学ぶことはできるが、人間はそもそも怠け者なので、ひとりで勉強を続けることは難しい。でも仲間がいたらお互いに牽制し合うし、議論し合うので、勉強をするようになる。要するに、ピア・ラーニング。

 

これは自分の経験からも納得。

ネット上にはたくさんの教材があふれていて、独学も十分可能。

しかしそうやってモチベーションを維持しながら勉強できる子って少なくて、

人との関係や環境の効果に頼らざるを得ないところも大きいなぁと。

 

 

18歳人口が激減する中、大学はどうすべきか

 

たしかに国内だけを見れば18歳人口は減っている。しかし世界に目を向けると、人口は増えていて、中産階級も増加している。

 

日本企業の多くが、人口減少と国内市場の縮小を理由に海外に進出したように、

「外国の大学のMAをする」

「外国に分校をつくる」

「留学生を受け入れる」

などの選択肢がある。

 

APUのように、グローバルな人材を輩出しながらローカルにも貢献するおもしろい大学をつくれば、全国から、全世界から人は集まってくる。

 

日本の大学の、海外分校かぁ。

おもしろいなぁ(^^)

 

 

高校を「変態コース」と「偏差値コース」に分ける 

 

「偏差値コース7割ぐらい」と「変態コース3割ぐらい」に分けたらどうか。

偏差値に興味のある生徒は教科書に沿って学力を伸ばせばいい。

偏差値に興味のない生徒は自分の好きなことを徹底してやればいい。

 

 

自分の好きなことがあって、それに徹底的に取り組める子というのも、案外少ない。

だからそういう子は、これまでの流れとは違う道を選択し、新たなものを創り上げていってほしい。

その創り上げたものを増やしたり広めたりするには、偏差値タイプの力が必要。 

どちらのタイプもいていい。どちらのタイプも輝ける場があることが大切なんだろうなぁ。

 

 

おわりに

 

あとがきに書かれた出口さんのこの言葉が素敵だなぁと思い、

引用して終わりにします。

 

僕は、昔から川の流れに流されていく人生が一番素晴らしいと思っています。僕が日本生命に入社したのも、ライフネット生命を立ち上げたのも、APUの学長に就任したのも、さまざまな巡り合わせや偶然によるものです。

 

僕はいまだに、自分の適性がよくわかりません。何に向いているのか、何がやりたいのか、よくわからない。だったら、川の流れに身を任せて、着いたところでベストを尽くせばいいだけです。

 

この本全体を通して、著者の意見に納得、賛同することばかりでした。

 

私も明確に「これがやりたい」というものがあるタイプではなく、

その場の流れがきっかけで、何かを始めることが多いです。

「川の流れに身を任せる」という感覚が凄く共感できました。

 

 

「教えるということ」について、改めて考えさせられる一冊でした。

 

おもしろおかしくやるんべぇ♪

半農半Xという生き方、の話。

 

 今回読んだ本はこちら。

 

次の時代を先に生きる (ちくま文庫)

次の時代を先に生きる (ちくま文庫)

  • 作者:髙坂 勝
  • 発売日: 2020/02/11
  • メディア: 文庫
 

 

読書のすすめの小川さんオススメの本。

 

「これ読むとみんな仕事辞めたくなっちゃうんですよ。」

というので、気を付けて読みました笑

 

後半の、筆者の政治に対する意見にはうーん、、、

ただそれ以外の部分については、ほぼ全体的に同意見でした(^^)

 

 

「THE消費者」として一生を過ごすか、それとも人生をクリエイトしていくか

これはキンコン西野さんも同じようなことを言っている。

今まではネズミの王国のような、お金を払い楽しませてもらうという、消費者的な娯楽が主だった。

しかし西野さんの手掛けるプペルの世界は、お金を払って共に創り上げていくもの。

働くことが娯楽になっている。

 

これは他にも同じようなことが言えて、

今まではテレビを観るという受け身の行動であったのが、

YouTubeなどの動画配信サービスを通じ、自ら動画をアップロードするような能動的な行動を楽しむようになっている。

 

今までは、自分にはできないことを誰かにやってもらい、

それを受動的に楽しむことで、やったような感覚を得ていたのかもしれない。

しかし今は、自分でやれることが増えた。

やれることの範囲が広がった。

 

消費者的な楽しみ方は、どこまでいってもキリがない。

しかし自分で創り出す、生み出す楽しみ方は、

そこに愛着が生まれ、自分だけの、世界に一つしかないものになる。

 

 

死ぬまでほどよく働き続ける

「ナリワイ」に定年は無い。

常に同じように、無理して働く必要も無く、

自分ができるところまで、できる形で続ければいい。

 

それができるのは、可能な範囲で自給することで、生活にかかるコストを下げることができるから。

将来に対する不安もだいぶ減りそう。

 

高齢であっても、やりがい、生きがいを持つ人は生き生きとしている。

食べられないなら無理に食べる必要もない。

その時が来たら、一人静かに逝く。

豊かな生き方だと思うけどなぁ。

 

 

稼がないビジネスで、稼ぐ方法も分かる

ナリワイは小さいほうが持続可能性が高まる。

もし盲目的に大きくしてしまうと、最少人数で回っていた仕事が回らなくなる。

労働時間を増やすか、人を増やすか。

 

その結果、物やサービスの質が低下してしまうかもしれないし、ブラックな働き方、働かせ方にもつながりかねない。それでは本末転倒。

 

必要以上に稼がないようにすることで、ゆとりのある時間が生まれる。

そしてその時間を他のことに生かせる。

もしお金が必要になった時などは、期間を決めて稼ぐのもいい。

稼がないようにすることで、上手く時間を使えるようになる。

 

 

20代の関心事からわかること

「車や家の保有に興味がない」「所有より共有」「非・画一化を好む」

「健康志向」「共同体志向」「社会貢献が好き」

 

消費への関心は小さくなり、失われたもの、つまりは健康とかつながりとかコミュニティとか人や社会の役に立つことなどに関心が高まっているという証だ。お金やモノより「関係性」を大切にする傾向。これは成熟社会の到来を意味している。

 

この辺については全く同意見だなぁ(^^)

 

 

アップル創業者 スティーブ・ジョブズの最期の言葉

 

私は、ビジネスの世界で、成功の頂点に君臨した。

他の人の目には、私の人生は、

成功の典型的な縮図に見えるだろう。

 

しかし、仕事をのぞくと、喜びが少ない人生だった。

人生の終わりには、富など、私が積み上げてきた

人生の単なる事実でしかない。

 

病気でベッドに寝ていると、人生が走馬灯のように思い出される。

私がずっとプライドを持っていたこと、

認証(認められること)や富は、迫る死を目の前にして

色あせていき、何も意味をなさなくなっている。

 

この暗闇の中で、生命維持装置の

グリーンのライトが点滅するのを見つめ、

機械的な音が耳に聞こえてくる。

神の息を感じる。死がだんだんと近づいている…

 

今やっと理解したことがある。

 

人生において十分にやっていけるだけの

富を積み上げた後は、富とは関係のない

他のことを追い求めた方が良い。

 

もっと大切な何か他のこと。

 

それは、人間関係や、芸術や、

または若い頃からの夢かもしれない。

 

終わりを知らない富の追求は、

人を歪ませてしまう。私のようにね。

 

神は、誰もの心の中に、

富によってもたらされた幻想ではなく、

愛を感じさせるための「感覚」

というものを与えてくださった。

 

私が勝ち得た富は、(私が死ぬ時に)

一緒に持っていけるものではない。

 

私が持っていけるものは、愛情に溢れた思い出だけだ。

 

ギリギリ仕事を辞めたくはならなかったけれど、

人生の一つの選択肢として考えられたので良かったなぁ✨

 

おもしろおかしくやるんべぇ♪

外出自粛中に読んだ本

 

久々に「読んだ感」のある本を読みました。

 

ということで今回読んだ本はこちら、

 

英語ネイティブ脳みそのつくり方

英語ネイティブ脳みそのつくり方

  • 作者:白川 寧々
  • 発売日: 2019/04/26
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

 

www.youtube.com

 

外出自粛の期間に、白川寧々さんの動画をすべて視聴し、

それからようやく、この本を購入。

 

気付けば一気に読み切ってしまいました。

 

 

高校生くらいで読んでおきたかったというのが正直なところ。

と言っても自分にとっては、最速のタイミングがちょうど今。

 

これから少しずつ英語ネイティブ脳みそをつくっていきたいと思います(^^)

 

TEDとか、英語で発信している動画観よーっと!!

 

 

 

ALTがいて、

定常的に英語で会話できる環境があるのは、とってもありがたい✨

 

 

おもしろおかしくやるんべぇ♪

流行りに乗って「鬼滅の刃」を全部読んでみた話。

 

ようやく最終205話まで読み終えました。

なぜこんなにヒットしているのか、その魅力を考えてみたいと思います。

 

 

ストーリーはというと、

 

突然鬼に襲われた竈門(かまど)一家。

生き残ったものの鬼になってしまった妹の禰豆子(ねずこ)と、

彼女を人間に戻そうと鬼殺隊(きさつたい)という組織に入る主人公の炭治郎(たんじろう)。

 

結構序盤に出てくるラスボス、鬼舞辻無惨(きぶつじむざん)。

「なるほど、こいつを倒せばいいわけか」

と、結構分かりやすいストーリー。

 

作者が早めに完結させたいというのもあったのかもしれないけれど、

漫画においても、今は分かりやすいエピソードがウケるわけね!

 

 

 

 

読んでいて最初に感じたのが、

内なる心の、しかも直接的な描写が多いこと。

 

へこたれそうになったり、

自分で自分を鼓舞したり、

 

悟空やルフィなんかと比べると、最初はまぁ、弱い弱い。

仲間の善逸(ぜんいつ)なんて、もう。

 

 

ただストーリーが進んでいくにつれて、こうした描写が少なくなっていき、

そこから強くなっている様子、また精神的にも成長している様子が伝わってきます。

 

 

最初は強くなくてもいい。

素直に弱さを出せる。

ただ、そのままでいいとは思っておらず、克服したいと思っている。

 

そうした感情を肯定し代弁してくれているので、

読者にとっても感情移入しやすく、それが人気な理由の一つになっているのかな。

 

 だからか、善逸みたいなキャラクターの方が人気度が高いようで。

 

 

 

また親目線で成長を微笑ましく見守っているというのもありそう。

 

過去のアニメやゲームがリメイクされているように、

親子二世代で楽しめる、というのは大きなポイントかな!

(これは販売戦略的なものもあるだろうけど)

 

 

 

ただ親世代がハマったドラゴンボールとかワンピースみたいに、

冒険とかの要素はあまり重視されていなくて、

海賊王を目指したり、つえー奴と戦ってワクワクしたり(そういえば、いつからドラゴンボールはバトル漫画になったんだ…)といった、

「より高みへ」という、従来の少年ジャンプ的な感じとはまた違う。

 

 

むしろこの漫画のテーマは「家族愛」「兄弟・姉妹愛」。

 

戦闘シーンはあまり重要ではなく、

いろんな技が出てくるけれど、正直あまり印象に残らない。

(ヒノカミ神楽、一つも覚えてない笑)

 

戦闘シーンそのものよりも、

死にかけた時の走馬灯が重要 笑

 

どうして鬼殺隊になったのか、

はたまた鬼になってしまったのか、

 

その過去には必ず「家族」や「兄弟・姉妹」などが関わっていて、

数々のキャラクターの中から、

「誰のエピソードが好きか」

が「鬼滅の刃」の大きな魅力に。

 

そう考えると、

主人公の炭治郎は良い奴過ぎて、

どんどん強くなってしまいすぎて…

 

最後はきっと炭治郎と禰豆子が無惨を倒すんだろうけど、

もうなんか正直それはどうでもよくなってしまって…笑

 

炭治郎、ごめんね。

 

 

ストーリーの後半になるにつれて、

鬼殺隊のトップ集団「柱」や、

無惨の部下集団「十二鬼月(じゅうにきづき)」の、

個々のエピソードの方がむしろメインに!

 

(アニメ版はここに入る前に終わってしまう。

 ここからが面白いのに、続きは映画という。やりおるな。)

 

 

 

 

いろんな「家族愛」「兄弟・姉妹愛」のカタチを垣間見る。

共通しているのはすべて「大切な人を守りたい」という想い。

 

鬼は鬼で、元々は人間であり、

「認められたい」「なんとしてでも生き延びたい」という我欲が、

闇落ちするきっかけに。

ただこれは誰もが陥り得ることでもあるわけで。

 

 

 

ワンピースは基本的には敵でもぶっ飛ばすだけ。

「昨日の敵は今日の友」じゃないけど、

後のエピソードに登場し、サポートしてくれたりもする。

 

ドラゴンボールはたくさん死ぬけど、

神龍(シェンロン)が生き返らせてくれたり、

あの世が描かれるので、頭の上に輪っかがあるけど普通に出てくる 笑

 

 

しかし鬼滅の刃は、死ぬときは死ぬ。

仲間であってもバタバタと。

 

描写もなかなかだし、結構攻めてる。

 

 

 

「生と死」はタブー視されがち。

でもそうした切なさや儚さもまた魅力であり、

結構読者は求めているのかも。

 

自然災害の多発、今回の感染症の流行。

突然巨人や鬼に襲われるなど、

近頃の漫画は「諸行無常」を伝えているのかな、なんて。

 

 

 

 

話は変わって、そういえば最近の子供たち。

七夕やら正月の絵馬やらで夢や目標を書くと、

「家族みんなが健康で幸せに暮らせますように」

なんてのが多いです。

 

突飛なことを書くのは気が引けるから、当たり障りのないものを書いている、

というのもあるかもしれないけれど、

 

それにしても「家族」の比重が大きい。

 

 

それはそれで、もちろん良いことなのだけれど、

「こうしたい」「こうなりたい」という強い想いはあまり感じません。

(かくいう私もそうでしたが)

 

こうした想いは勉強したり努力したりするモチベーションになったりするのですが、

それがなければ、何がモチベーションになるのでしょうか。

 

なんらかの「鬼」によって、当たり前の日常が失われた時?

 

 

 

 

「出世したい、稼ぎたい、名を馳せたい」という人は世の中を回し、

 

「家族みんなが健康で幸せに暮らせますように」という人は、

金銭的にはさほど裕福でなくとも、家族仲睦まじく心豊かに生活する。

 

という社会もあり?

 

 

今回の特別定額給付金なんて、まさにベーシックインカムみたい。

一人当たり月〇万円が振り込まれ、その中で生活する。

それ以上の生活がしたい場合は、社会に出て稼ぐ。

 

 

 

そうなったら学校の意義は?

 

社会生活を営むための、基本的な学習は必要ですが、

みんながみんな、受験に向け根詰めて勉強をする必要はあるでしょうか。

 

 

残るのは、

基本的な生活習慣と最低限の「これから時代の読み書き算盤」を身につける、

保育機関の延長のような学校と、

 

 

「出世したい、稼ぎたい、名を馳せたい」という人向けの、

エリート養成のための学校?

 

 

今回の休校をきっかけに、

「家族で過ごす時間が長くなって良かった」

「今後も隔日の登校、一回3時間程度の登校で良い」

なんて声もちらほら聞きます。

 

 

しかし毎日お昼の準備をするのは大変だそうで、

給食を望む声は多いです。

 

ただベーシックインカムなどの制度が整備され、

親が仕事に出る必要がなくなれば、その問題も解消されます。

 

ママ友同士で交代で作ったりすれば、

毎回自分が作らなければならない、ということもありません。

 

こうやって地域コミュニティが徐々に復活していくのかも。

 

 

四六時中ずっと一緒だと苦しいという場合も、

こうした地域コミュニティがあれば、だいぶ負担感、閉塞感は薄まるでしょう。

 

 

極論のような気もするけれど、

財政にめどが立てば、ありっちゃあ、ありなような気もする。

 

 

 

おもしろおかしくやるんべぇ♪

「おかげさま」の話。

 

 今回読んだ本はこちら。

 

おかげさまで生きる (幻冬舎文庫)

おかげさまで生きる (幻冬舎文庫)

 

 

矢作直樹先生の、「おかげさまで生きる」。

 

このブログでたびたび紹介している保江先生。

その保江先生に「業捨」という施術を紹介したのは矢作先生。

なので矢作先生の本をいつか読もうと思っていたところでした。

 

 

保江先生や業捨については、以下の記事を

www.futaba1107.com

www.futaba1107.com

www.futaba1107.com

 

 

救急医療の最前線で、多くの人の生と死と向き合ってきた矢作先生。

その矢作先生が何を語るか。

読んで心に残ったことをまとめました。

 

 

 

体が衰えても楽しいことは見つかる。

 

そもそも体を大事にすることにお金はさほどかからない。

質素だけれどバランスの取れた食事、適度な運動、穏やかな心持ち、たったこれだけの要素を大切にするだけで、つまり、その生活シーンごとの「質」をしっかり保つことで、誰しも本来持つ輝きを失わない。究極は何も気にしないこと。

不老不死というのも、いつまでも若くありたい、人と比べてきれいでいたい、老いたくない、死にたくない、といった欲望が滲み出た言葉。

 

エイジング(加齢)を楽しむ余裕を持つこと。

余計な見栄を張らず、周囲の評価を気にせず生きている人は、輝いて見える。

 

多額の費用を要するような健康法や治療法などは、本来自然なことではないのだと思います。

そうしたものに頼らなくても済むようにするには、日々の生活の質を高めること。

それも無理にではなく、できることを、自然に。

 

 

人生は「運・鈍・根・金・健」

 

矢作先生が若い頃、恩師からもらった言葉。

「運・鈍・根・金・健」

周囲に振り回されずに自己実現するには、運気、鈍感、根気、金銭、健康が大切な要件。

必要以上にそれらを欲することは無明にほかならないが、ある程度身につけることで他人が気にならなくなる。

 

ではすべてにおいて鈍感だったらいいのかと言えば、そうではなく、私たちに普段見えないもの、人とのご縁、霊性、おかげさま、お互いさまなどのエネルギーに対しては、逆に敏感になることが必要。

目には見えないからこそ、そういうものが自分の周囲に存在するのだという意識が必要。ここは鈍感になってはいけない。

 

目には見えないものには敏感に。

世の中のせわしなさには鈍感に。

意識レベルを高めるには、二つのスタイルが重要。

 

最近物事が気にならなすぎて、それはそれでどうなんだろうというくらい笑 

鈍感力、最高です(^^)

 

その反面、目には見えないけれど、そういうものもあるのかなと思って、大切にする感覚もなんとなく分かります。

スピリチュアルとかどうこうというわけでなく、すべての物事に対して「ありがたさ」を感じることによって、心豊かな生活を送れるからです。

目に見えないものを信じることで、かえって苦しくなるのならば、そういうものとはさようならだと思っています(^^)

 

 

 

私はもともと、目に見えないものや理論的に証明できないものは信じないタイプです。

だって、見えないので(^^)

 

しかし今理論的に証明できているものは、「過去に誰かが理論的に証明したから」です。

それ以前は、「理論的に証明できないけれど、きっとなんらかの力がはたらいている」という解釈だったのでしょう。

 

そう考えれば、今目に見えているもの、理論的に証明できているものが全てではなく、まだまだ観測できないもの、分からないこともたくさんあるのだと思います。

 

 

自分の置かれた場で、自分にできる最善のことを尽くす。

そうしているうちに、「なんだかよく分からない、大いなるものに支えられている、応援されている」というような感性が磨かれるのかもしれません。

 

それが「おかげさま」ということかな!

 

 

おもしろおかしくやるんべぇ♪