おもしろおかしくやるんべぇ~ゆとり世代も悪かねぇ~

THEゆとり世代。さとり世代とも言われる世代「ふたば」の見方や考え方、そして日々の学びをまとめたブログ。

半農半Xという生き方、の話。

 

 今回読んだ本はこちら。

 

次の時代を先に生きる (ちくま文庫)

次の時代を先に生きる (ちくま文庫)

  • 作者:髙坂 勝
  • 発売日: 2020/02/11
  • メディア: 文庫
 

 

読書のすすめの小川さんオススメの本。

 

「これ読むとみんな仕事辞めたくなっちゃうんですよ。」

というので、気を付けて読みました笑

 

後半の、筆者の政治に対する意見にはうーん、、、

ただそれ以外の部分については、ほぼ全体的に同意見でした(^^)

 

 

「THE消費者」として一生を過ごすか、それとも人生をクリエイトしていくか

これはキンコン西野さんも同じようなことを言っている。

今まではネズミの王国のような、お金を払い楽しませてもらうという、消費者的な娯楽が主だった。

しかし西野さんの手掛けるプペルの世界は、お金を払って共に創り上げていくもの。

働くことが娯楽になっている。

 

これは他にも同じようなことが言えて、

今まではテレビを観るという受け身の行動であったのが、

YouTubeなどの動画配信サービスを通じ、自ら動画をアップロードするような能動的な行動を楽しむようになっている。

 

今までは、自分にはできないことを誰かにやってもらい、

それを受動的に楽しむことで、やったような感覚を得ていたのかもしれない。

しかし今は、自分でやれることが増えた。

やれることの範囲が広がった。

 

消費者的な楽しみ方は、どこまでいってもキリがない。

しかし自分で創り出す、生み出す楽しみ方は、

そこに愛着が生まれ、自分だけの、世界に一つしかないものになる。

 

 

死ぬまでほどよく働き続ける

「ナリワイ」に定年は無い。

常に同じように、無理して働く必要も無く、

自分ができるところまで、できる形で続ければいい。

 

それができるのは、可能な範囲で自給することで、生活にかかるコストを下げることができるから。

将来に対する不安もだいぶ減りそう。

 

高齢であっても、やりがい、生きがいを持つ人は生き生きとしている。

食べられないなら無理に食べる必要もない。

その時が来たら、一人静かに逝く。

豊かな生き方だと思うけどなぁ。

 

 

稼がないビジネスで、稼ぐ方法も分かる

ナリワイは小さいほうが持続可能性が高まる。

もし盲目的に大きくしてしまうと、最少人数で回っていた仕事が回らなくなる。

労働時間を増やすか、人を増やすか。

 

その結果、物やサービスの質が低下してしまうかもしれないし、ブラックな働き方、働かせ方にもつながりかねない。それでは本末転倒。

 

必要以上に稼がないようにすることで、ゆとりのある時間が生まれる。

そしてその時間を他のことに生かせる。

もしお金が必要になった時などは、期間を決めて稼ぐのもいい。

稼がないようにすることで、上手く時間を使えるようになる。

 

 

20代の関心事からわかること

「車や家の保有に興味がない」「所有より共有」「非・画一化を好む」

「健康志向」「共同体志向」「社会貢献が好き」

 

消費への関心は小さくなり、失われたもの、つまりは健康とかつながりとかコミュニティとか人や社会の役に立つことなどに関心が高まっているという証だ。お金やモノより「関係性」を大切にする傾向。これは成熟社会の到来を意味している。

 

この辺については全く同意見だなぁ(^^)

 

 

アップル創業者 スティーブ・ジョブズの最期の言葉

 

私は、ビジネスの世界で、成功の頂点に君臨した。

他の人の目には、私の人生は、

成功の典型的な縮図に見えるだろう。

 

しかし、仕事をのぞくと、喜びが少ない人生だった。

人生の終わりには、富など、私が積み上げてきた

人生の単なる事実でしかない。

 

病気でベッドに寝ていると、人生が走馬灯のように思い出される。

私がずっとプライドを持っていたこと、

認証(認められること)や富は、迫る死を目の前にして

色あせていき、何も意味をなさなくなっている。

 

この暗闇の中で、生命維持装置の

グリーンのライトが点滅するのを見つめ、

機械的な音が耳に聞こえてくる。

神の息を感じる。死がだんだんと近づいている…

 

今やっと理解したことがある。

 

人生において十分にやっていけるだけの

富を積み上げた後は、富とは関係のない

他のことを追い求めた方が良い。

 

もっと大切な何か他のこと。

 

それは、人間関係や、芸術や、

または若い頃からの夢かもしれない。

 

終わりを知らない富の追求は、

人を歪ませてしまう。私のようにね。

 

神は、誰もの心の中に、

富によってもたらされた幻想ではなく、

愛を感じさせるための「感覚」

というものを与えてくださった。

 

私が勝ち得た富は、(私が死ぬ時に)

一緒に持っていけるものではない。

 

私が持っていけるものは、愛情に溢れた思い出だけだ。

 

ギリギリ仕事を辞めたくはならなかったけれど、

人生の一つの選択肢として考えられたので良かったなぁ✨

 

おもしろおかしくやるんべぇ♪