今回読んだ本はこの本です。
最近アルボムッレ・スマナサーラさんの本にハマっていますが、別に出家するつもりはありません笑
ただもっと物事をシンプルに考えられるように、
欲や感情と上手く向き合えたらいいなぁと思って手に取りました。
今回はその中で印象に残ったものを、まとめておきたいと思います。
相手を批判するのは、自分に自信がないから。
何か新しいことが始まったり、新たな風が吹き込んだりするときに反対するのは、自分がそれに敵わないと思っているから。既得権益を守るため。
自分に対抗できるだけの、それを上回るだけの力や魅力があれば、恐れる必要はないはず。
まだ来てもいない未来に対して不安を抱いてしまうのも、自分の力や魅力のなさを感じてしまっているからなのかもしれない。
でも意外と何とかなっているんですよね、これまで。
共同体は個々の利益の為に存在する。どんなにいいことを言ったとしても、結局所属していることのメリットがなければ共同体は維持できない。
外部からの圧力に対しては結束して強いが、内部からの反発などにはとても弱い。
元寇を防ぐことはできたけれど、それに対するご恩を与えられず、不安が募った。
結果として内部から幕府が衰えていく、そんな感じかな。
「思想の自由」は、存在しない。
「梅干しを想像しちゃだめだよ」と言われてるのに、
勝手に想像しちゃって、酸っぱくなって、唾液が出てくる。
もともと個人の思想を抑圧することなんてできない。
それを上手く、「思想に自由を与えられた」と思わされているだけ。
「生きる権利」を謳いながら、多くの命を奪っている人間。
人間は食べるためでもないのに不要な殺生をする。
必要以上の食に囲まれ、食べられずに廃棄されるものも多い。
なのに野生生物が生存の為に人間を襲えば、残された人間は復讐に燃える。
残酷なようだが、自然の摂理とはそういうもの。
その摂理に最も反した生き方をしている生物が人間。
真理をみればそうなのだけれど、でも感情を抑えて理解するのは難しい…
多くの命を奪ってしまっているのは分かる。けれど大切な人を傷つけられたら悲しむし、怒りの感情も沸く。
だって人間だもの。
「自分の好きなように生きたい」というのは、好きな情報に依存したい、ということ。
この感覚を理解するの、難しいです…
好きなもの以外寄せ付けない→嫌いなものを選択して排除している→結局周囲の情報に振り回され、自由になり切れてない
って感じ?
そして自分は自由を求めるけれど、他人に対しては束縛されることを求める。
なんと、欲深い!
何があっても動じないこと。
智慧を開発し、「自我」や「自分」が空であると知ること。
その時、完全な「自由」を得て、「単独行動」を行えるようになる。
…
なんともハード。
理解も追いつかん。
本質や真理を追究していけば、欲や感情を手放してシンプルに生きられそうだけど、
正論すぎる正論は結構残酷なことを言う。シンプルなものほど分かりづらいし。
それに耐えられないから、それから目を背けようとして、
欲や感情によって自ら矛盾だらけの道を選択してしまう、それが人間なのかなー(^^)
おもしろおかしくやるんべぇ♪