今話題の劇場版「鬼滅の刃」!
週末だと混むだろうなぁと思ったので、平日のレイトショーへ。
その日の最終上映回にもかかわらず、空席はわずか。
人気の高さがうかがえます。
今回観て感じたことを、素直にまとめたいと思います。
※ネタバレを含むのでご注意を。
「良かったところ」と「うーん、なところ」
私はまずアニメ版全話を視聴し、続きが気になったのでコミック版を読み、
ジャンプで最終話まで読んだ組です。
今回の無限列車編の登場キャラやストーリー、
今後の展開についても既に知っています。
そんな私が思う一番の良かったところは、
なんといっても
映像と音
これに尽きます。
原作コミックは展開が速く、戦闘シーンなどはどうなっているのか分かりづらいです。
アニメ版の美しい映像や豪華な声優陣がそこを補い、鬼滅の刃の大ヒットにつながりました。
今回の無限列車編についても同じことが言え、
コミック版では粗削りであった表現が、完璧と言えるまでに映像化されています。
特に戦闘シーン、技を繰り出すところは、CGとの融合でカッコ良過ぎる✨
決め台詞を、そのキャラの声優さんの声で聞けるのも最高過ぎる✨
良いところで入ってくる音楽も感動シーンを盛り上げます!
LiSAさんの炎「ほむら」なんて流れ始めたら、もう…
しかし…
私が良かったと思うところをまとめると、本当にこの一点に尽きます。
そしてまた、この良さが、良すぎるところが、
かえってもやもやを生んでしまう。
なんと天邪鬼な奴なんでしょう。
少し話が変わります。
どこかで聞いた話なのですが、日本人が好きな「ゴジラ」の映画は、
CGを用いて完璧なまでに再現されたハリウッド版ではなく、
ゴジラの着ぐるみを着て撮影した、あのアナログな「ゴジラ」なのだそうです。
ゴジラの再現度で言えば、ハリウッド版の方が完成度は圧倒的に高いです。
一方、アナログなゴジラは、時々人間っぽさが出たりします。
「なんかおかしいな」と思いつつ、そのおかしさを脳内で補いながら観ているのだそうです。
完成された作品を観る時、視聴者は完全に受動的。
一方、荒さの残る作品を観る時、視聴者は一部能動的にならざるを得なくなります。
お気付きでしょうか。
鬼滅の刃もこれに似ていて、
映像化されたアニメ版、劇場版は、これが正解と言っていいほど完成された作品。
視聴者が想像力を働かせる必要がありません。
一方コミック版は、速い展開で分かりづらい部分があります。
特に戦闘シーンは何がどうなっているのやら。
しかしこうした分かりづらさを、これまでに読んだり観たりした、他のバトル物の作品を思い出しながら、補って読んでいたのだと思います。
そこには想像力を働かせる余地がありました。
鬼滅の刃の最大の魅力は、
家族愛・兄弟姉妹愛・師弟愛、
それぞれのキャラの性格や過去のエピソード。
そしてどのように「十二鬼月」や「鬼舞辻無惨」を倒していくかというストーリー展開。
コミック版で読んでいる組は、既にこの最大の魅力を味わってしまいました。
劇場版オリジナルのシーンはほとんどなく、原作に忠実。
劇場版にした良さは、映像や音が入ったことに絞られてしまい、
この一点で2時間は長いな…というのが正直な感想。
「懕夢」に血鬼術をかけられてしまったのか、何回か、うとうと…💤
夢の世界に引きずられそうになりました。
危ない危ない💦
アニメ版は30分だからまだ良かったのか、
アニメから鬼滅の刃に入った私は、このように感じることが今まで無かっただけなのか、
原作コミックから入った組は、どう観ていたのだろう。
それぞれの組で考えてみる
今回の劇場版を最も楽しめるのは、アニメ版のみの組。
「柱」たちが集結し、これからどうなるのだろうというところで終わってしまい、
待ちに待った先のストーリー。
この組については、もう思う存分劇場版を楽しんで欲しいです(^^)
しかしここで先のストーリーが気になって、
コミック版に手を出してしまった私のような組は、
結果劇場版の満足度が下がってしまう…
あの頃の私に言いたい。
「劇場版を待て!先に進むな!」
といってもそれじゃあ他の「柱」や「十二鬼月」のストーリーを知ることはできなかったわけで…
難しいところですね。
アニメも観ていない、コミックも読んでいない初見組はどうでしょう。
今回、もし自分が初見だったらどうか、という視点で映画を観ていました。
結論から言うと、
完全に初見はやめた方がいいです。
初見だとして観ると、疑問点だらけ。
炭治郎の夢から、一家が鬼に襲われたのは分かるとして、
鬼になった禰豆子を元に戻そうとしていることの描写ってあったっけ?
「なぜ禰豆子は鬼なのか(そもそも鬼って分かる?)」、「なぜ鬼なのに味方なのか」、「なぜ箱に入っていたり竹を咥えたりしているのか」、この辺いろいろとハテナ?が浮かんできそう。
(最後のシーンで、箱に入らなければならない意味は分かるかな。鬼だから敵みたいに、血鬼術が使えるということも分からなくはなさそうだけど、初見でそこまで理解できたら凄すぎる!)
伊之助が血鬼術を逃れたシーン。
被り物を被っていて、目が合わなかった、と。
「あれ被り物だったの?なんでわざわざ被ってるの?」
伊之助の過去が分かるのはもっと後の話だしなぁ。
一番もったいないと思うのが、今回の主役と言っていい煉獄杏寿郎の強さが分かりづらいこと。
丹治郎たちと煉獄さんたち「柱」の格の違いを伝えたい。
とはいえこれらを映画に盛り込んだらさすがに間延びすぎて、
今度こそ懕夢の餌食になってしまう。
登場キャラの基本的な背景については知っておいてから観たほうが良いかな。
できればアニメ版で「那田蜘蛛山 累編」を観ておきたい。
そうすれば禰豆子の能力も、伊之助が被り物を被っていることも、
そして冨岡義勇や胡蝶しのぶといった「柱」から、圧倒的な強さ、格の違いが分かる。
(調べてみたら那田蜘蛛山でアニメのほぼ半分。ならもう全部観て笑)
ということで、今回の劇場版のメインターゲットはアニメのみの組。
コミック組にとっては、どう映像化されるのかという答え合わせ的な楽しみ方。
初見組は、これを機に鬼滅の刃に興味を持ってもらえたらいいな、的な。
劇場版「鬼滅の刃」から授業の話へ
アニメ組 = 授業の流れに沿って理解している層
コミック組 = 塾や家庭で既に予習をしている層
初見組 = 本時に必要な、前提の理解が不足している層
と置き換えて考えてみる。
授業のメリットを最も受けられるのが「アニメ組」。
日々新たな発見の連続。きっと楽しいだろうなぁ。
毎時間順当に理解する力があるということは、たぶん「コミック組」に入ることもできる力を持っている。でもネタバレしちゃうともったいないから、日々を楽しむ感じ。
「コミック組」にとって、授業は答え合わせ。
既に理解している内容を、先生はどのように授業してくれるのか。
オチが決まっている落語を、噺家の違いで楽しむ、みたいな。
そうやって楽しめるのならまだいいけれど、
「このオチってあれでしょ」となってしまう
言いたくてたまらない子には我慢の時間に。
「初見組」にとっては理解に必要な前提の情報が抜けている。
授業の中で「これってどういうこと?」と思うことがぽつぽつと。
しかしそれに捉われているうちにどんどん先に進んでしまうし、
周囲の邪魔になってしまうから、それを質問することもできない。
最後に質問できる場面があったとしても、
そもそも全体的にハテナ?が多すぎて、何がよく分からなかったのかもよく分からない。
それがずっと続けば「自分には合わないかな…」となってしまうのも無理はない。
2時間という決められた時間の中で、いろんな層の観客の満足度をいかに高めるか。
メリハリをつけたり、切れかけた集中力を維持したりするためのギャグパート(ホラーだと大きな音とか)を入れるなど、
数々の工夫や多額の予算、そして多くの時間と人手をかけて作られた映画。
そんな映画でさえ、全員を満足させるのは非常に難しい。
では日々の授業は?
授業は児童生徒学生が満足すればいいというものではない。
身につけるべき知識や技能があり、高めたい思考力判断力表現力がある。
そのためには、いかに参画している意識を高められるか。
映画で言えば、
観た感想を語り合うとか、
「この場面はこうした方がいいかな」と自分なりの改善策を考えてみるとか、
なるべくネタバレしないように、まだ観ていない人が観たいと思うように魅力を伝えるとか、
そういった関わり方によって、より映画を深く味わうことに繋がるのでは。
授業でも、
分かったことなど感想を語り合うとか、
「こうした説明の方が分かりやすいのではないか」と自分なりの説明の仕方を考えてみるとか、
なるべく答えを直接教えないように、まだ理解できていない人が理解に至るようなヒントを出すとか、
そういった活動のできる場面を多く設けていくことが大切なんじゃないかなぁ(^^)
というわけで、劇場版「鬼滅の刃」を観た感想と、そこから考えた授業の話でした!
おもしろおかしくやるんべぇ♪