白駒妃登美さんという方の講演から聞いた、この二つの言葉。
夢を叶えようとするとき、「目標達成型」のタイプと「天命追求型」のタイプとがあるらしい。
「目標達成型」というのは、ゴールをイメージし、そこに至るまでのプロセスを考え、あとは達成に向けて取り組んでいくこと。
最近よく言われるタイプの夢の叶え方ですね。
一方「天命追求型」は、目の前のことに集中して取り組んでいたら、なんとなく新たな道が拓けてくる、そんな感じです。
私は夢をもったり目標を立てたりするのが苦手です。
小学生の頃、「〇学期の目標」なんてのを書かされましたが、しっかりとした目標なんてものは私には無く、それっぽいことを書いて乗り切っていました。
結局、目標を見返すこともありませんでした。
それから「将来の夢」を考えるのも苦手でした。目の前の物事に夢中で、長期的な視点で物事を考えていなかったからです。
昆虫採集にハマっているときは「昆虫博士」、バスケットボールにハマれば「バスケットボール選手」。そんな風に、その時の興味に合わせて夢もころころと変化していました。
私にとって「将来の夢」を考えることはその程度でしかなく、むしろ明確な夢をもって何かに打ち込んでいない自分自身に嫌気がさすくらいでした。
思い返せば、この職に就いたのも、ひょんなことがきっかけです。
なんとしてでも教員になる、という強い思いが、元からあったわけではありませんでした。
しかし職に就いてからは、まずは少しでも早く慣れるよう、必死でもがきました。
そうしているうちに「これってどうなんだろう?」「もっといいやり方はないのだろうか?」と疑問が浮かぶようになりました。
そして、その疑問を解決すべく、行動するようになりました。
こうなる自分を思い描いていたわけではありません。
気付いたら、いつの間にかこんな自分になっていた。そんな感じです。
私は「天命追求型」寄りなのだと思います。
ゴールをイメージし、逆算して取り組むというのは苦手。
どうもしっくりこないPDCAサイクル。
まずPができないから笑
なので私の場合はDDDD(^^)
授業の初めの「めあて」と、授業終わりの「まとめ」や「振り返り」。
こういう授業の流れに違和感を感じる理由も、何となく分かりました。
きっと予定調和的な、終着点が予め決まっていることを取り組むことに、あまり魅力を感じないのだと思います。
研究授業も、指導案を作り終えた時点で、終了。
時間と労力をかけて練った授業の割に、実際の授業でしっくりこないのは、きっとこういうことが原因なのでしょう。
日々目の前のことを、子どもたちと一緒に全力で取り組み、その中で起こる予想外のことやハプニングをも楽しみたいのだと思います。
そして、そうやって一緒に成長していきたいのだと思います。
「天命追求型」で良かったと思います。
1年前に、今自分がやっていることや考えていることなんて、全く想像していませんでした。
それくらい先のことなんて分からないのに、明確な自分の将来の夢や目標を立てるのは非常に難しいです。
明確な目標や夢があることで、せっかくの転機を逃してしまう、ということもあるかもしれません。
今の自分が想像しうる範囲の中で生きていくのもいいですが、私はそれはちょっともったいないなぁと思います。
「夢や目標をもって、順序だてて物事に取り組むべきだ」という流れが強い今だからこそ、
それを苦手とし悩みながらも、なんとかその場その場を乗り切り、こうして今を生きている私が教員をしていることに意味があるのかな、なんて感じます(^^)
おもしろおかしくやるんべぇ♪