おもしろおかしくやるんべぇ~ゆとり世代も悪かねぇ~

THEゆとり世代。さとり世代とも言われる世代「ふたば」の見方や考え方、そして日々の学びをまとめたブログ。

き、記憶が、、、って話。

 

これまでに何度も言っていることですが、

どうしてブログを更新するのか。

 

その一つは、その時の新鮮な感覚と気持ちを残しておくためです。

 

 

 

日々、新たな出逢いや学びがあります。

それはととてもありがたいことなのですが、それらが積み重なっていくと、

いつしかその時の感覚が自分でも分からなくなってきます。

記憶もあいまいになってきます。

 

 

そこで、ブログをクラウド代わりにし、

脳内のデータをバックアップしています。

 

 

そうすることにより、脳内の空き容量を増やし、また新たなことを吸収できるようにしています。

「頭空っぽの方が、夢詰め込める」って言うし!

 

 

しかしそれが習慣化してくると、、、確実に記憶力が落ちた気がします笑

代わりにスマホのメモがどんどんと溜まっていく…

 

 

「今」に集中するようになり、過去を振り返ることが少なくなりました。

あれこれ考えすぎることは減ってきたけれど、過去を思い返す場面が激減したことで、記憶が薄れていっているようなー

 あちゃー

 

 

 

普段子どもたちに接するときには、いつも小学生「ふたば」がいて、

「自分が小学生の頃、どうだったら良いかな。反対に嫌かな。」

ということを考えて言動に移しています。

 

ところがその感覚さえ若干薄れ、

「あれ?こういう時、自分だったらどう感じたかな。」

と分からなくなることもしばしば。

 

 

 

裕福ではなかったけれど、明日どうなるか分からない、ということもなく、

大した不自由することなく生活してこられた私。

病気をしたこともあったらしいけれど、ほとんど記憶にありません。

 

 

分かりやすく「反抗する」ことはなく、むしろ面倒なことになるのは厄介なので、

当たり障りなーく、それとなーく乗り切ってきた私。

 

 

ところが自分の将来と向き合わねばならなくなったとき、

特にこれといったこだわりや強みがなく、進路なんて考えられるはずもなく、

そんな空虚な自分に自信を無くし、思考がそこにいかないよう気を紛らし。

 

 

それでも今こうして生きていて…

 

 

という経験をしてきたことやその感覚が、ある意味私の強みであり、

それが私が今教員をやり続けている意味でもあるのかなと思っています。

 

 

子どもの時の感覚を、自分でも分からなくなったとき、

目の前の子どもたちと私の感覚のずれが大きくなったとき(時代の移り変わり?)、

私の中での担任としての役目は、一区切りとなってしまうのかなと、ふと感じました。

 

 

その時には、近い感覚をもつ層の子どもたちが、社会人になる頃でしょう。

今度はそこをターゲットに、自分の立ち位置を変えることになるのかもしれません。

 

 

いや、ターゲットとなる層はいつも同じか。

親子ほど年齢の離れない、近い世代。

ここまでが私にできる範囲で、その先は次世代にバトンパス

 

そうして伝播し循環していくのかなぁ(^^)

 

 

 

 

その感覚をいつまでも持ち続けていられたとしたら、ずーっと担任なのかもしれないけれど。

 

 

幼心を忘れずに(^^)

 

おもしろおかしくやるんべぇ♪

心揺るがす社説の話。

 

 

先日紹介した、みやざき中央新聞のイベント。

 

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その際、編集長の水谷もりひとさんの著書を購入しました。

 

 

いま伝えたい!子どもの心を揺るがす“すごい”人たち

いま伝えたい!子どもの心を揺るがす“すごい”人たち

 

 

 

各地の講演会などを回り、「いい話」をたくさんご存じの水谷さん。

そうして書かれた社説の中から選りすぐりのものがまとめられていました。 

 

なかなか読む時間が取れず、だいぶ時間が経ってしまいましたがようやく読了。

 

特に心に残ったことをまとめておきたいと思います。

 

 

 

モノに名前をつけて呼んでみる

 

エッセイストの志賀内泰弘さんの著書「教育革命 ~塾が作った学校の挑戦~」の中に、

ボールに名前を付けた話が載っているそうです。

 

教育革命

教育革命

 

 

 

鹿児島市にある池田学園の学園長・池田弘さんが小学校の教諭をしていた時の話です。

 

休み時間後の校庭にボールが放置されており、ホームルームでこの問題を取り上げました。

ふと挙がった「ボールに名前をつける」というアイディアを採用してみたところ、放置されることが無くなったそうです。それどころか、汚れを布で拭いたりし、大切に扱うようになったそうです。

 

 

昔は物資が少なく、生活は貧しかった。けれども心は豊かだった。

今は物資に恵まれ、生活も豊かになった。反面心の豊かさが失われている。

そんな風に感じることが多々あります。

 

 

この物に名前を付けるというアイディアにより、たくさんある中の一つのボール、という意識ではなく、「このボール」という愛着が生まれたのかなと思います。

 

 

 名前のもつ効果ってすごい(^^)

 

 

まず感性を、その次に知性を

 

日本外科学会名誉会長、井口潔先生の話。

 

人間はまず「ヒト」として生まれてきます。健常児であれば身体は100パーセント完成していますが、脳はチンパンジーとさほど変わらないそうです。

その後、「ヒト」は「教育」によって「人間」になる。教育をしなかったら何歳になっても「ヒト」のままなのだそうです。

 

0歳~10歳くらいまでの子どもには、道徳心や真善美など、感性の教育が必要。

そして10歳~20歳までに必要なのが知性の教育。

 

感性が育っていないのに知性教育を前倒しして、理論・理屈で考える脳が先にできてしまうと、場の空気が読めなかったり、思いやりが欠如していたり、「法律に違反していなければ問題ないでしょ」みたいな考え方をする人間になってしまうそうです。

 

 

「とにかく覚えろ」「駄目なものは駄目」「意味はそのうち分かる」と、江戸時代の幼少期の教育は意味を教えなかった。

「あいさつをしろ」「靴を揃えろ」「食事の前には手を合わせろ」などど、道徳を詰め込んで感性脳を育てた。

そのことによって人格が形成された。

もし、順番を間違えて青年期から道徳をすると、それは処世術になってしまうそうです。

 

 

もちろんこうした教育が優れているのかと言えば、強制しすぎたり、暴力による教育とならないようにしたりするなど、考えなおさねばならないこともあり、優れているとは言い切れません。

ただ現状として、少子化によって子どもに手厚い支援がなされたり、寿命の延びによって相対的な子どもの期間が延びたりするなどし、精神面での成長のペースが遅く、感性の教育の必要性が高まっているように感じます。

 

「なぜ?」と考えないと動けない年齢になる前に、まずは習慣として身につけ、

その後「なぜ〇〇をすることは大切なのか?」と自分なりに考えさせ、要不要を自ら選択できるようにしていければいいのかなぁ、なんて思います。

 

 

 

前回の記事ではありませんが、

 

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生まれた時はだれもが「天命追求型」なのかなぁ、なんて思ったのでありました(^^)

 

 

おもしろおかしくやるんべぇ♪

「目標達成型」と「天命追求型」の話。

 

白駒妃登美さんという方の講演から聞いた、この二つの言葉。

 

 

夢を叶えようとするとき、「目標達成型」のタイプと「天命追求型」のタイプとがあるらしい。

 

 

「目標達成型」というのは、ゴールをイメージし、そこに至るまでのプロセスを考え、あとは達成に向けて取り組んでいくこと。

最近よく言われるタイプの夢の叶え方ですね。

 

 

一方「天命追求型」は、目の前のことに集中して取り組んでいたら、なんとなく新たな道が拓けてくる、そんな感じです。

 

 

 

私は夢をもったり目標を立てたりするのが苦手です。

 

小学生の頃、「〇学期の目標」なんてのを書かされましたが、しっかりとした目標なんてものは私には無く、それっぽいことを書いて乗り切っていました。

結局、目標を見返すこともありませんでした。

 

それから「将来の夢」を考えるのも苦手でした。目の前の物事に夢中で、長期的な視点で物事を考えていなかったからです。

昆虫採集にハマっているときは「昆虫博士」、バスケットボールにハマれば「バスケットボール選手」。そんな風に、その時の興味に合わせて夢もころころと変化していました。

私にとって「将来の夢」を考えることはその程度でしかなく、むしろ明確な夢をもって何かに打ち込んでいない自分自身に嫌気がさすくらいでした。

 

 

 

思い返せば、この職に就いたのも、ひょんなことがきっかけです。

なんとしてでも教員になる、という強い思いが、元からあったわけではありませんでした。

 

 

しかし職に就いてからは、まずは少しでも早く慣れるよう、必死でもがきました。

そうしているうちに「これってどうなんだろう?」「もっといいやり方はないのだろうか?」と疑問が浮かぶようになりました。

そして、その疑問を解決すべく、行動するようになりました。

 

こうなる自分を思い描いていたわけではありません。

気付いたら、いつの間にかこんな自分になっていた。そんな感じです。

 

 

 

私は「天命追求型」寄りなのだと思います。

 

 

 

ゴールをイメージし、逆算して取り組むというのは苦手。

 

どうもしっくりこないPDCAサイクル

まずPができないから笑

 

なので私の場合はDDDD(^^)

 

 

 

授業の初めの「めあて」と、授業終わりの「まとめ」や「振り返り」。

こういう授業の流れに違和感を感じる理由も、何となく分かりました。

 

きっと予定調和的な、終着点が予め決まっていることを取り組むことに、あまり魅力を感じないのだと思います。

 

研究授業も、指導案を作り終えた時点で、終了。

時間と労力をかけて練った授業の割に、実際の授業でしっくりこないのは、きっとこういうことが原因なのでしょう。

 

 日々目の前のことを、子どもたちと一緒に全力で取り組み、その中で起こる予想外のことやハプニングをも楽しみたいのだと思います。

そして、そうやって一緒に成長していきたいのだと思います。

 

 

 

「天命追求型」で良かったと思います。

1年前に、今自分がやっていることや考えていることなんて、全く想像していませんでした。

それくらい先のことなんて分からないのに、明確な自分の将来の夢や目標を立てるのは非常に難しいです。

 

明確な目標や夢があることで、せっかくの転機を逃してしまう、ということもあるかもしれません。

 

今の自分が想像しうる範囲の中で生きていくのもいいですが、私はそれはちょっともったいないなぁと思います。

 

 

 

「夢や目標をもって、順序だてて物事に取り組むべきだ」という流れが強い今だからこそ、

それを苦手とし悩みながらも、なんとかその場その場を乗り切り、こうして今を生きている私が教員をしていることに意味があるのかな、なんて感じます(^^)

 

 

おもしろおかしくやるんべぇ♪

2週間ぶりの畑へ。

 

久々の畑の記録です。

 

前回行ってから2週間経ってしまいました。

 

 

行って見てみると、、、

 

 

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この写真では少しわかりづらいですが、

結構荒らされてます。

 

 

柵のウィークポイントをついて、どうやらイノシシが侵入したようです。

 

 

ただ、幸いなことに、作物にはさほど被害がありませんでした。

 

大きな母親はさすがに入れないと思うので、子どもが遊びで入ったのかもしれません。

侵入口をしっかりと塞ぎました。

 

 

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エダマメがだいぶ黄色っぽくなってきています。

 

なかなか作物が育たず苦労しましたが、ダイズは収穫できそうです。

 

 

 

 

試しに、一番乾燥してきているやつを見てみると、、、

 

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おおお!なかなかいい感じではないですか(^^)

 

 

 

 

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そして意外といい調子で頑張ってくれているのがニンジン。

 

新しく出てきた芽も、結構伸びてきています。

 

 

 

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今年のキュウリはダメだと思っていたら、

こんなのができていました。

 

農家や食品関係者からしたら、規格外の廃棄物でしかないでしょうが、

私にとっては大切な宝物です。

 

よくここまで大きくなってくれました(^^)

 

 

 

これからイノシシがまた来そうな気がするので、

何かしらの対策をとろうと計画中。

 

柵の外側にネギやニンニクを植えて、動物除け兼収穫ができたらいいな、なんて構想中。

 

 

 

あと、畑に関して、全く違う新たな取り組みも構想中。

それはまた、おいおい。紹介するタイミングが来た時に!

 

 

おもしろおかしくやるんべぇ♪

動画効果の続きの話。

 

以前、こんな記事をまとめました。

 

www.futaba1107.com

 

 

授業の動画をあらかじめ撮っておき、それを自由に観られるようにするとどうなるか?

 

 

 

2単元やってみたところ、

 

 

かけたコストに対する効果は低そうです…

 

 

 

えーーーっっっ

 

ウソーーーッッッ

 

って感じですが、それが現状…

 

 

 

 

授業中は、私の話を聞きながら一緒に進めるもよし、

自分のペースで進むもよし、

動画を観ながら進めるもよし、

 

予習復習としても動画を活用できるようにしました。

 

 

 

まず、自分のペースで学習を進める子にとって、動画は必要ありません。

最初こそ観てはいましたが、その子たちのペースには合わなかったのか、

途中から観なくなりました。

 

 

 

動画の解説のペースがちょうど合う子たち。

この子たちには効果的かなぁと思っていたら、

私の説明を聞きながら進める子たちと、ペースが同じくらいでした。

 

そうなってくると、一緒に解き進めていくライブ感のある方が良いみたいで、

結果として動画を観なくなりました。

 


 

最後に、理解がゆっくりな子たち。

何度も何度も繰り返して動画を観て、理解しようとしています。

 

傍から見ると、自ら学習に取り組んでいるように見えるのですが、

そこには大きな落とし穴があります。

 

動画は、ポイントをかなり簡潔にまとめたものにしてあります。

それを何回観ても理解できないということは、私の説明はその子たちにはたぶん伝わっていません。

 

ならばその動画で理解しようとするより、誰か他の子に聞いた説明の方が理解しやすいと思います。

 

一見、動画で理解しようと努力しているように見えるので、なかなか外から声をかけづらくなってしまいます。当人たちも、自分なりに学習に取り組んでいるので、「分からない」「教えて」という風には、なかなかなりません。

 

しかし、いくらたっても理解できず、時間だけが過ぎていく。

そして後から、あまり理解できていなかったことが分かる、というのが現状です。

 

 

そのため今では、自分で学習を解き進められる子や、私と一緒に進めている子の中で、感覚の合う子と一緒に学習に臨んでいるようです。

 

ということで、結局この子たちにも動画は必要なくなりました。

 

 

もちろん、授業の動画が私の物ではなく、違う動画であれば結果はまた違ったかもしれません。

ただ教科書の内容と合わなかったりするので、私なりにまとめた動画を、現状のでき得る範囲でやってみたのですが、大した効果を生んでいない現状が分かりました。

 

 

日々の宿題や習い事などに追われ、動画を観て予習復習なんて姿はもうありません。

最初は物珍しそうに休み時間も観ていましたが。 

 

ということで、やめます(^^)

 

 その分、違うところに時間と力をかけます!

 

 

おもしろおかしくやるんべぇ♪

筆文字投稿をはじめてみた話。

 

身近に筆文字をやっている方が多く、

Facebookのタイムライン上にも、毎日たくさんの投稿があがってきます。

 

それを見て、私もなんとなーく始めてみました(^^)

 

 

しかしFacebookなど、ネット上にはあげていません。

 

私の筆文字の投稿先は、教室の壁面です。

 

 

 

複雑なこと、あまり手間が掛かるようなことは苦手な私。

 

福岡のなべちゃんという方が、偉人の名言などを毎日送ってくださるのですが、

その中から「これだっ!」と来たものをお便りの余りなどの裏紙に書き、それを掲示しています。

 

 

 

子どもたちの様子を観察していると、近くを通る時に、ちらっと見ているようです。

 

他の掲示物にはほとんど見向きもしません。

 

週予定などは、必要な時に確認しているようですが、

学期はじめに書いた個人の目標や、絵画作品は、すでに風景と化しています。

 

それほど、子どもたちにとって、掲示物の旬は短いのだと思います。

 

 

 

子どもたちが下校した後、次の言葉に貼り換えます。

そうすると翌朝、すぐに確認する子がちらほらと。

その姿は日に日に増えているようです。

 

 

これは面白いなぁと思って、今度は壁の反対側に掲示してみることにしました。

 

つまり、教室ではなく、廊下に掲示することにしたわけです。

 

 

 

そうすると、学年問わず、そこを通りかかる子がちらっと見ます。

 

 

掲示用ホルダーもなければ、立派な半紙でもありません。

ただの裏紙です。

 

2,3分で、なんとなーく書いたものなのに、

その隣に掲示してある、子どもたちの書写の作品より注目を浴びてしまって、なんだか申し訳ない(^^)

 

 

時間をかけてレイアウトをデザインし、お金をかけて綺麗に印刷されたチラシやポスター。

 

各方面から送られてきて、たくさん廊下に並べられていますが、それらももはや、壁と同化しています。

 

一方、日替わりの筆文字は、一応掲示物として機能しているようです。

 

 

 

 

多くの人の注目を一気に集めるためには、綺麗なチラシやポスターの効果は大きいです。

駅のように、多くの人の目に触れ続けるような場所であれば、その効果も続きます。

 

 

しかし学校のように、大きく変化しない日常の場では、その効果は最初のほんの一瞬。

マンネリ化が生じやすい場では、日々ちょっとずつ変わるものに、注目が集まります。

それが大したクオリティでなくても。

 

大事なのは、そこにワクワクがあるか。

 

 

 

 

これ、掲示物の話だけではないです。

 

きっと教員そのものにも当てはまると思います(^^)

 

 

 

 

 

 

ところで、なぜ筆文字の投稿を始めたかというと、運動会が終わったことがきっかけです。

 

 

共通の目標がある時は、そこに向かって一致団結していきますが、

それが終わると、目標を見失いがち。

 

そうすると、他者の言動が気になったり、今まで顕在化していなかったひずみが出てきたりしてトラブルに発展する、というのはよくあることです。

 

他者の言動を気にすることなく、小さなことでもいいから、

自分なりに何かに人の心に火を灯すようなことをしてほしい。

 

そんな想いから始めました。

 

 

 

ただ、これをわざわざ言葉にして伝えてしまうと、押し付けっぽくなってしまいます。先生の言うことに従わされているような感じがします。

 

私が小学生なら、絶対それは嫌。

 

 

なので意図は決して伝えません。

ただ私はしれーっと毎日更新し続けるだけです。

 

 

 

 

 

 

と表面上はとても謙虚にやっていますが、

その程度で留めるはずがありません(^^)

 

 

 

 

 

もう既に、言葉をメモする子が出始めました。

 

しめしめ。

 

 

 

時期をみて、学級通信に載せることは、既に想定済み。

 

そうして保護者にも何か伝わるものがあれば、というのも既に想定済み。

 

 

配布前には管理職のチェックが必要ですが、

そこで管理職にも何か伝わるものがあれば、というのも既に想定済み。

 

 

そのうち、テイクフリーにして廊下に並べておき、

他学年の子が持って帰ることも、既に想定済み。

 

そうして心に火の灯った子から、少しずつ言動が変わっていき、

学校が変わっていくことも、既に想定済み。

 

 

更には、習い事や地域の行事等で、他校の保護者との間で話題になることも、既に想定済み。

 

日々の仕事や子育てをがんばる保護者の意識に、少なからず影響を与えることも、既に想定済み。

 

そうして心に火の灯った人から、少しずつ言動が変わっていき、

まちが変わっていくことも、既に想定済み。

 

 

そのタイミングを今か今かと待ちながら、

私は私にできることを、日々コツコツとやり続けるだけ(^^)

 

 

 

おもしろおかしくやるんべぇ♪

思い立ったら即行動、の話。

 

先週、参加したイベント。

 

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会場のヘアーサロンマルヤマで、お手洗いをお借りした際、

こんなチラシを見つけました。

 

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www.facebook.com

 

 

「みやざき中央新聞」の編集長、水谷もりひとさんの講演会。

 

 

 

普段お世話になっている方が、記事を紹介してくださったり、

知っている人が記事に取り上げられたりと、

 

以前から興味のあった「みやざき中央新聞」

 

その編集長の水谷さんのお話を聞けるとなれば、行かないという選択肢はありません。

 

場所は福島市でしたが、3連休なのでちょうどいいと思って、即決定。

 

 

 

 

隣の県だからと気楽に考えていたら、福島市はだいぶ北の方なんですね。

無知って恐ろしい。

けれどいざという時、強い笑

 

 

 

 

主催の方に連絡をしてみたところ、

 

「よろしければ、懇親会も参加されませんか? 会場の方がOKなら、ですが」

 

ということだったので、宿泊先も決めぬままほぼノープランで、福島市へ向かうことに!

 

 

 

 

 

講演会が午後だったので、ゆっくり行けばいいかなと思っていたのですが、

 

 

 

「あ、そうだ!福島の一之宮巡りができる!!」

 

 

 

 

ちょうど全国一之宮巡りをしていたので、福島にあるのはどこかを調べてみると、

会津若松の方にあることが分かりました。

 

ということで、講演会の前に、

 

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岩代國一之宮、伊佐須美神社に参拝してきました。

 

 

 

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火災で社殿を焼失してしまったそうですが、

私はこのシンプルな仮社殿が好きだなぁ。

 

 

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建物の跡地と思われる場所に、

白い猫が一匹、佇んでおりました。

 

 

 

 

神社を後にし、講演会の会場へ。

 

 

なぜ「みやざき中央新聞」が全国各地で読まれているのか。

その経緯のお話から始まりました。

 

 

今回の講演のテーマは、

「親の言葉が子どもをつくる」

でした。

 

 

ありきたりな話ではなく、

水谷さんご自身の家族や子育ての経験を通して何を大切にすべきか、などをお話ししてくださったので、

それがすごく心に響きました。

 

 

今回の講演会で、強く残ったキーワード。

それは「根拠のない、高い肯定的セルフイメージを持つこと」。

 

 

大人が子どもを「育てよう、育てよう」と思わなくとも、

このイメージさえ持っていれば、あとは子ども自身で自然と成長していくのだろうなと思います。

 

 

赤ちゃんは、

「僕は立てないかも」

「私は喋れないかも」

なんて思わないでしょう。

 

 

とりあえずやってみる。

ちょっとできる。

嬉しい。楽しい。ワクワク。

もっとやってみる。

 

 

こうやって自分で自分を肯定し、自分で自分の機嫌を取っていくのは、

子どもは大得意です。

 

成長すると、できないことにフォーカスするから辛くなってしまうんだろうな。

 

 

 

 

やったこともないのに、ちょっとテレビで観ただけで、

 

「僕の将来の夢はプロ野球選手です。」

 

 

それが子ども。

 

 

運動が苦手な親でも、まだその子よりは野球が上手なはず。

 

 

 

ただ侮るなかれ、

 

大人と比べ、できないことが圧倒的の多いことは明らかなのに、

子どもの「根拠のない、高い肯定的セルフイメージ」はどこからくるのだろう、と思います。

 

「世界は全て自分を中心に動いている」くらいの感覚。

羨ましい(^^)

 

 

子どもは生まれながらに、「根拠のない、高い肯定的セルフイメージ」を持っている。

 

親や教師、周囲の大人の「言葉」によって、

それを奪ってしまわないようにすることが大切なのだと思います。

 

 

そのためには、

大人も「根拠のない、高い肯定的セルフイメージ」を持ち、

言葉や行動、姿で語ること。

 

その素晴らしい教え手は子ども、特に赤ちゃんです。

 

 

 

大人が自分の人生をしっかり生き、日々上機嫌でいること。

そして、子どもに「いいなぁ、ああいう大人に早くなりたいなぁ。」と思わせること。

 

それこそが「子育て」なのかなと思います(^^)

 

 

 

 

 

 

 

 

講演会後の懇親会にも参加できることになり、すぐに宿を検索。

 

すると最初はリストになかった場所が、ポンと出てきました。

きっとキャンセルが出たのでしょう。

 

 

 

翌朝には、

 

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「みやざき中央新聞」を読む会が予定されており、

こちらも参加して帰ろうと思っていたのですが、

 

 

ちょうどこの宿は、懇親会の会場と、新聞を読む会の会場の中間に位置していました。

 

車を動かす必要がなく、駐車料金も宿の1泊分だけで済みました。

 

 

やったー!

ラッキー!

すべてがうまくいってるー!

 

 

という「根拠のない、高い肯定的セルフイメージ」

 

 

 

おもしろおかしくやるんべぇ♪