身近に筆文字をやっている方が多く、
Facebookのタイムライン上にも、毎日たくさんの投稿があがってきます。
それを見て、私もなんとなーく始めてみました(^^)
しかしFacebookなど、ネット上にはあげていません。
私の筆文字の投稿先は、教室の壁面です。
複雑なこと、あまり手間が掛かるようなことは苦手な私。
福岡のなべちゃんという方が、偉人の名言などを毎日送ってくださるのですが、
その中から「これだっ!」と来たものをお便りの余りなどの裏紙に書き、それを掲示しています。
子どもたちの様子を観察していると、近くを通る時に、ちらっと見ているようです。
他の掲示物にはほとんど見向きもしません。
週予定などは、必要な時に確認しているようですが、
学期はじめに書いた個人の目標や、絵画作品は、すでに風景と化しています。
それほど、子どもたちにとって、掲示物の旬は短いのだと思います。
子どもたちが下校した後、次の言葉に貼り換えます。
そうすると翌朝、すぐに確認する子がちらほらと。
その姿は日に日に増えているようです。
これは面白いなぁと思って、今度は壁の反対側に掲示してみることにしました。
つまり、教室ではなく、廊下に掲示することにしたわけです。
そうすると、学年問わず、そこを通りかかる子がちらっと見ます。
掲示用ホルダーもなければ、立派な半紙でもありません。
ただの裏紙です。
2,3分で、なんとなーく書いたものなのに、
その隣に掲示してある、子どもたちの書写の作品より注目を浴びてしまって、なんだか申し訳ない(^^)
時間をかけてレイアウトをデザインし、お金をかけて綺麗に印刷されたチラシやポスター。
各方面から送られてきて、たくさん廊下に並べられていますが、それらももはや、壁と同化しています。
一方、日替わりの筆文字は、一応掲示物として機能しているようです。
多くの人の注目を一気に集めるためには、綺麗なチラシやポスターの効果は大きいです。
駅のように、多くの人の目に触れ続けるような場所であれば、その効果も続きます。
しかし学校のように、大きく変化しない日常の場では、その効果は最初のほんの一瞬。
マンネリ化が生じやすい場では、日々ちょっとずつ変わるものに、注目が集まります。
それが大したクオリティでなくても。
大事なのは、そこにワクワクがあるか。
これ、掲示物の話だけではないです。
きっと教員そのものにも当てはまると思います(^^)
ところで、なぜ筆文字の投稿を始めたかというと、運動会が終わったことがきっかけです。
共通の目標がある時は、そこに向かって一致団結していきますが、
それが終わると、目標を見失いがち。
そうすると、他者の言動が気になったり、今まで顕在化していなかったひずみが出てきたりしてトラブルに発展する、というのはよくあることです。
他者の言動を気にすることなく、小さなことでもいいから、
自分なりに何かに人の心に火を灯すようなことをしてほしい。
そんな想いから始めました。
ただ、これをわざわざ言葉にして伝えてしまうと、押し付けっぽくなってしまいます。先生の言うことに従わされているような感じがします。
私が小学生なら、絶対それは嫌。
なので意図は決して伝えません。
ただ私はしれーっと毎日更新し続けるだけです。
と表面上はとても謙虚にやっていますが、
その程度で留めるはずがありません(^^)
もう既に、言葉をメモする子が出始めました。
しめしめ。
時期をみて、学級通信に載せることは、既に想定済み。
そうして保護者にも何か伝わるものがあれば、というのも既に想定済み。
配布前には管理職のチェックが必要ですが、
そこで管理職にも何か伝わるものがあれば、というのも既に想定済み。
そのうち、テイクフリーにして廊下に並べておき、
他学年の子が持って帰ることも、既に想定済み。
そうして心に火の灯った子から、少しずつ言動が変わっていき、
学校が変わっていくことも、既に想定済み。
更には、習い事や地域の行事等で、他校の保護者との間で話題になることも、既に想定済み。
日々の仕事や子育てをがんばる保護者の意識に、少なからず影響を与えることも、既に想定済み。
そうして心に火の灯った人から、少しずつ言動が変わっていき、
まちが変わっていくことも、既に想定済み。
そのタイミングを今か今かと待ちながら、
私は私にできることを、日々コツコツとやり続けるだけ(^^)
おもしろおかしくやるんべぇ♪