今朝は、ほそぼそと活動していたゴミ拾いを。
発足したのは、もうかれこれ数年前。本日を合わせ、通算の活動回数は片手で数えられるほど。会員数2名。活動の名前をつけて盛り上がっていたのに、すでにその名前すらも忘れました。久々にやろうと思い立ち、実行することに。
そしてその効果が素晴らしい。
何よりも手軽
必要なものは軍手・ゴミ袋・トング? 以上。
活動場所を決めて、あとは拾うだけ。1時間もやれば結構溜まる。
地域の方との交流
活動は朝に行うので、結構散歩やジョギングをしている人、お店の準備をしている人などがいる。そうした方々と「おはようございます」と言葉を交わすだけでも、なんとも心が晴れやかになるものである。
今日は道を尋ねられることもあった。こうした方の役に立つこともでき、勝手に満足。
地域貢献している感
健康のためにジョギングをすることもある。でもそれは自分の健康の維持であったり、何かの大会にでるためのトレーニングであったりする。自分のため。
ゴミ拾いをすることで地域が綺麗になる。自分がやったことが地域のためになる。地域のためになっていると思い込んでいるだけで、結局はその自己満足のためなのかもしれないが。でも悪いことではないだろう。
どうしても街中などが中心の場で、「やっている感」をアピールしてしまうのが玉にきず。ただこうした活動をしている姿を見せつけることで、周囲に何か気持ちの変化するきっかけになればいいなとも思っている。
時間の有効活用
最初にも言ったように、1時間でも拾えば結構見つかる。7時にスタートしたとして、8時過ぎには終了。それからゆっくりとコーヒーでも飲みながら朝食。どうせ家にいればだらだらと過ごしてしまったであろう時間。この時間に活動することにより、体も目覚める。全部が終わってもまだ9時。まだまだ何をするにも十分な時間が残っている。
街が分かる
ゴミ拾いをしていると、新たなお店を見つけることがある。今度ここに来てみようとか、次に繋げることもできる。ゆっくり歩きながらであるからこそ、見落としてしまいそうなお店にも気づける。
今日はそうやって見つけた場所で、活動後に休憩することに。普段なら寄らないお店かもしれない。街の新たなスポットを開拓し、そこで活動を振り返るのも醍醐味。
小さいことにも気づける
何気なく歩いているとゴミが落ちているのを見逃してしまう。やっているうちにゴミを見つける千里眼がだんだんと磨かれてくる。また落ちてそうな場所がなんとなく分かってくる。活動後には、車の運転をしていても、落ちているゴミに反応してしまう。
気づきすぎてしまうのは辛いところでもあるけれど、小さなことや変化にも気づけるというのは、違う場でも生かせそう。
ただの「自己満足」なのに誇れる
ゴミ拾いをしていると、「ご苦労様です」と声をかけられることが多い。自分が勝手にやっているだけのことなのに、そうやって言ってもらえるだけで勝手に自己肯定感が上がる。やりがい・生きがいが見つからない人。「自分なんて…」と思っている人。とりあえずゴミ拾いをしてみては。自分の活動により「街に落ちているゴミが減った」ことは事実なのだから誇っていい。誰も文句言わない。清掃業務を民間に任せている場所などは気をつけた方がいいかもしれないが。
以上、煩悩だらけのゴミ拾いではあるけれど、別にいい。ただの趣味だし(^^)