おもしろおかしくやるんべぇ~ゆとり世代も悪かねぇ~

THEゆとり世代。さとり世代とも言われる世代「ふたば」の見方や考え方、そして日々の学びをまとめたブログ。

恵まれている話。

 

ここ最近、放課後に作業をしながら、

いろいろな話を職場でしています。

 

話を聞いてもらったり、良いアイディアをもらったり、本当にありがたいです。

 

 

 

思い返してみると、なぜか私は、これまでずっと職場環境に恵まれています。

 

人間関係にも合う合わないがありそうなのに、そうしたことを気にすることがありません。(私が鈍感なだけ?)

 

 

 

 

昨日も、教育論について、じっくりと語り合ってしまいました。

 

世代が違うからこその、貴重な話を聞かせてもらいました。

 

心強い味方を得たような感覚です。今日からまた新たに突っ走れそうな気がします(^^)

 

 

 

実は最近、少し気持ちが停滞気味でした。

 

もしかするとそれを見抜かれていたのかもしれませんが、

 

周りの人に支えられているなぁと思います。

ありがたい限りです。

 

 

 

 

 

おもしろおかしくやるんべぇ♪

学びの様子に変化が

 

これまでは、だいたい一単位時間に一課題の、定番パターンでやってきました。

 

ある程度の成果は出ていますが、その段階から先へは伸び悩むようになりました。

それにはトップランナーが突っ走れていないことが影響しているような気がします。

 

 

ということで、ここにきて複数の単位時間で複数の課題に取り組んだり、単元まるごと委ねたりする学習に、少しずつ移行し始めています。

 

 

 

 

社会科の「米づくりのさかんな地域」

 

総合的な学習の時間でも「米」をテーマに学習をしており、米の品種や農業機械など、自分で決めたテーマで調べている最中です。

 

それらの知識を生かし、互いの知識を持ち寄ることにより、今回は単元まるごと委ねても問題なく進んでいます。

むしろ、まとめる際のポイントだけ確認すれば、あとは自分たちでどんどん進めていけるので「問題なく進んでいる」以上の学びの姿です。お見事。

 

 

 

 

やはりいつも思うのが、子どもは生まれながらにして「学びたい」という高い意欲をもっているということ。

 

それをこちらの都合で「この時間はここまで」と制限をかけてしまうことにより、意欲に蓋をしてしまっている状態になっているのかな、と。

 

 

 

 

 

複数の単位時間で複数の課題に取り組んだり、単元まるごと委ねたりするのは、学習の仕方やレベルが上がり、難しいことをしているような感じがします。しかし私はそうには感じません。

 

いかに制限を取り除き、個々のペースで学習に臨めるようにするかを考えた結果、

複数の単位時間で複数の課題に取り組んだり、単元まるごと委ねたりすることに繋がってくる。ただそれだけのことだと思っています(^^)

 

 

おもしろおかしくやるんべぇ♪

畑スタートしました!

 

 

連日、野菜づくり関連の記事ばかりです笑

 

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いよいよ畑の準備をしました。

 

 

と言っても「なるべく手を加えずにどこまでできるか」を試したいので、

大きな草は取り除き、畝と畝の間の土を、少し盛る程度です。

 

 

こんな感じ。


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一般的な畑には全く見えませんね。

 

 

 

今回は畝を二つ作りました。

 

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右側の畝には、キュウリ、ダイズ、そしてマリーゴールド

 

 

 

 

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左側の畝には、ニンジン、ダイコン、カブ、ゴボウ、ダイズ。

 

 

時期がずれているような気もしますが、まぁ良し。

 

 

 

8月から9月にかけて、もう一畝作り、

ホウレンソウとコマツナ、あと今回余ったニンジンやダイコン、カブの種を蒔こうと思います。そうすればちょうど秋蒔きになるので。

 

 

 

今回作業をするときに、地下足袋を履いてみたのですが、これがまたいい(^^)

土踏まずの真下に重心が来ていて、大地を足の裏でつかんでいる感覚でした。

 

 

週末にまた、様子を見に行こうと思います。

 

 

おもしろおかしくやるんべぇ♪

農薬も化学肥料もF1種子も雄性不稔も遺伝子組み換え作物も、全部悪じゃない、って話。

 

完全に「野菜作り」で頭がいっぱいな私。

 

www.futaba1107.com

 

 

私は農薬も化学肥料を使わず、土地に合った固定種・在来種の種子を蒔き、

草マルチやコンパニオンプランツを取り入れ、なるべく自然に近い「家庭菜園」をしようとしています。

 

 

それには

農薬や化学肥料が体に与える影響、

F1種子や雄性不稔の作物を食べ続けていて本当に大丈夫なのか、

いざ、というときのためにも、「食」の自給率を高めておいた方が良いのではないか、

 

という、ふと浮かんださまざまな疑問が関わっており、その検証のためです。

 

あとは、野菜本来の味を味わってみたい、という興味も大きいです。

 

 

 

 

ではこれまでのやり方が「悪」なのかというと、全くそんなことはありません。

 

一年中安定して供給できます。

見目形の綺麗な野菜を安価に出荷することができます。

 

社会のニーズに対し、これでもか、というくらい適しています。

むしろ感謝するべきことです。

 

 

 

ただ、物事には良し悪しがあります。

 

「こういうデメリットもあるのではないか」という疑問が浮かんだから、違うやり方を模索してみた。

それだけのことです。

 

全てが自然菜園になったら、今後は食の「安定供給」という点で問題が起こるかもしれません。

 

両者が共存してこそ、だと思います。

 

 

 

 

これって学校教育でもそうです。

 

一斉指導=良くない、というイメージが広がっていますが、そんなことはありません。

これまでの学校教育や今の社会の発展に大きく貢献していると思います。

 

ただ、社会の変化に対して合わない部分も見えてきたので、新たな道を探してみよう、

その結果が今の、対話を重視した学習だと思います。

 

 

 

そのうち対話を重視した学習にも、行き詰り感が出てくるかもしれません。

その時にはまた、これまでの一斉指導で培われたスキルが役に立ちそうな気がします。

 

 

 

武士が剣の腕を磨いても決して剣を抜かないように、

私は「チョーク&トーク」のスキルを高めたいと思います。

 

普段はあまり使わないかもしれませんが、いざというときの技があって困ることは無いと思いますし、人と同じようにやるのが好きでない、という性格が完全に影響してます笑

 

 

 

野菜作りから大きく話が変わり、膨らんでしまいました。

でもあながち、ずれてはいないと思うんだよなぁ…

 

 

 

おもしろおかしくやるんべぇ♪

また新たな繋がりが、の話。

 

先日、こんなイベントに参加しました。

www.facebook.com

 

 

「人塾」の今回の講師は、「まなビバ!シリウス」というオルタナティブスクールの代表である安楽岡優子さんという方です。

 

manavivasirius.wixsite.com

 

 

 

 

新聞のコラムで彼女の記事を読んだことがあり、一度話を聞いてみたいと思っていました。

 

そうしたらFacebookで、今回のイベントページがふと目に入り、都合もついたので急遽参加させてもらうことに。

 

 

 

優子さんは元、学校の先生。

 

サポートスタッフでありパートナーである安楽岡一平さん。

彼は不登校経験者だそうです。

 

 

そんなお二人がどのように出逢い、どうしてシリウスを立ち上げることになったのか。また実際にシリウスではどのようなことが行われているのか。

そんな話を伺うことができました。

 

今回こうして繋がることができたのも、偶然ではなくて運命的なものだったんだろうなぁと思います。

 

 

ゲームにハマった過去があり、そこから「すべては仮想現実である」ということに気づいた私。一平さんとのゲーム談義も楽しかったです。

 

 

 

 

また、今回のイベント「人塾」の主催は、日本福祉教育研究所というNPO法人です。

その代表理事である妹尾信孝さんもまた凄い方でした。

 

 

生まれつき四肢と言語に障害を抱える妹尾さんの人生は、壮絶なものだったと思います。

しかしその中で自分のできることを模索し、法人を立ち上げ、講師を招き…と、幅広く活動されています。

 

 

どうしても話している内容が聞き取りづらいところがあります。

でも耳ではなく、魂に、話や想いが伝わってきます。

 

これが魂で語る、ということなのかと感じた瞬間でした。

 

 

 

 

新たな発見、そして新たな繋がりに感謝です(^^)

 

 

 

おもしろおかしくやるんべぇ♪

決めた!! 新たな決意の話。

 

いろんな本を読み、いろんな知識を得てきた、ここ数か月。

いろんなイベントに参加し、いろんな人とのご縁が繋がった、ここ数か月。

 

 

ところが最近はちょっとその深まりや広がりが停滞してきたような…

そこで、新しいことを始めることにしました。

 

 

 

これまでにも何度も言ってきたことですが、

我々公務員の前身は武士です。と思ってます。

 

そこで武士の生き方に関する本を何冊か読んできました。

 

 

当たり前と言えば当たり前ですが、

武士でさえ、自分で食べるものは自分でつくっていました。

 

 

 

そこで!!

 

私も野菜を育てようと思います(^^)

 

 

 

運良く、祖父宅に空いたスペースがあるそうで、

そこを使っていろいろと育ててみようと思います。

 

 

 

農薬と化学肥料は使いません。

使うとしても、山から集めてきた落ち葉でつくる堆肥くらい。

 

耕すのも草むしりも最小限にし、野菜たちの生きる力を信じたいと思います。

刈った草も、堆肥にしたり、マルチ代わりに敷いたりする予定。

 

あとはコンパニオンプランツを意識。

 

 

 

県内で、固定種・在来種の野菜を生産しているところも結構あるようなので、

種を分けてもらえたら嬉しいなぁ。

あとはやっぱり、野口のタネ、かな(^^)

 

自家採種もできたら楽しそう♪

 

 

 

不格好であろうが、小さかろうが、虫食いだらけだろうが、

販売目的ではなく、自分が食べられればいいだけなので、気が楽でなんともいい。

 

上手くいかなかったら、それはそれで経験として良し。

 

上手くいけば、もうそれほどありがたいことは無いわけで、感謝していただきます。

予想以上にもっと多く採れれば、お裾分け致しますね。

 

 

 

コンパニオンプランツの代表的なエダマメ。

大豆から味噌や豆腐もつくれるかなー

あー、わくわくが止まらない(^^)

 

 

ただ水田が無いので稲作ができないのがちょっと残念。

 

 

 

 

 

そして極めつけはコレです。

 

 

種を撒いた後の語り、

 

 

 

「1週間後にまた来ます。

 それまでに芽を出すことがミッションです。

 いいですか。一粒も見捨ててはいけませんよ。

 期待しています。さぁどうぞ。」

 

 

 

おもしろおかしくやるんべぇ♪

魂ふるえた読書の話。

 

今まであまり本を読んでこなかったので、

最近隙間の時間さえあれば本を読んでいる私。

 

 

新たな本に出合うたび、新たな気付きをたくさん得ていますが、

今回読んだこの本はとにかくすごかったです。

 

 

まさに名著!是非読んでほしい!

食えなんだら食うな

食えなんだら食うな

 

 

 

 

覚悟を決め、あとは行動し続ける。

それだけだと思います。

 

ただ、著者の関大徹さんやその師匠、

常人の次元を遥かに超越しています。

 

 

 

読んだ中で特に心に残ったことをまとめます。

 

 

 

「病なんて死ねば治る」の章より、

 

 

「すべての人々の恩恵によって、いま、私は生かされている。よくつかわれるたとえだが、一粒の御飯を頂戴できるのも、それを生産して下さったお百姓さんのおかげであり、それらのかたがたには、いちいちお礼を申しあげられないほどの距離と多方面にわたっている。

 だからこそ、せめて身近の、声をかけられる範囲の人には、和顔愛語でゆかねばならぬ。おかげをこうむっている人間の、人間としてのつとめであろう。いや、つとめてするのではなく、おのずから、にじみ出てくるものでなければならぬ。」

 

  

これだって、当たり前すぎる当たり前のことです。

でもそれがなかなか難しい。

 

「和顔愛語でゆけなんだら食うな!!」と一喝されてしまいそうです笑

 

 

 

「無報酬ほど大きな儲けはない」の章より、

 

 

豊臣秀吉は、遺児の秀頼のために、東洋一といわれる金銀と城塞を残して死んだ。秀頼は、この金銀と城塞の為に滅んだといっていい。金銀による軍事行動力を叩くために、徳川家康大阪城を攻め、ついでに秀頼母子をほろぼした。もし秀吉に仏教的な思想があれば、金銀を天下のためにばらまき、秀頼を豊臣という新興公家として京都の片隅にでも置いたであろう。そういう裸の秀頼まで、いくらむごい家康でもひねり潰そうというはずはなく、かれの血筋を絶やすことはなかったであろう。豊臣家は末代まで続いたはずである。

 豊臣秀吉父子だけではない、人間みんなそうなのである。持って死ねる金もなく、残して末代まで保証できる金もないのである。」

 

 

「人間、本来無一物である。みんなが赤ン坊の初心にかえればいい。すると、ずいぶん余計なものが身辺につきまとっていることに気づくであろう。余計な金があれば、施しなさい。施しという無報酬の徳を通じて、

『無一物中、即、無尽蔵』

という人生の秘密がおわかりになるであろう。

『即』なのである。

 

 赤ン坊が、なにも持たずに生まれてきたために、母や父や、多くの人から無尽蔵の愛を受けられるのである。」

 

 

金は天下の回り物。

手放せば入ってくる。逆に言えば、手放せないから入っても来ない。

 

そんな話をよく聞きますが、なるほど、

ここでもそう言ってますね。

 

むしろ「無一物中無尽蔵」という考えが先で、そこからよく聞く話が導き出されているのかもしれません。

 

 

地位や権力、お金に執着しない。

執着するからこそ、かえって脅かされる。

執着するのではなく、それをもって何を為すか。

 

 

生きることにも執着しない。

生きて何を為すか。

 

 

 

きゅ、究極です(^^)

 

 

 

ためにする禅なんて嘘だ、の章より、

 

 

「たとえば、企業で有用な人間といえば、企業を大いに儲けさせてくれる人間であり、そういう陣頭に立って働く人間でなくても、最低限、企業の管理に、きっちり当てはまる人であろう。もっと端的にいえば、社長を頂点として、上司の思い通りに動いてくれる人間であろう。

 そういう人間になってくれることを、企業では『人間形成』と称する。なんという傲慢であろうか。自分の思い通りになる人間が有用であり、思い通りにならぬ人間は無用と斥ける、そのために『人間形成』するという。そういう人間形成に禅が役立つとするならば、それは、企業にとっては『善』であろうが、形成されたナマの人間にとって、これほどの『悪』はない。

 禅の有用とは、そんなちょこまかした、ちいさなちいさな世界に人間を閉じ込めることではないのである。禅は、あくまでも個人の『さとり』であり、全体の中での矮小化とは、本質的に違うのである。

 だから、そうした、期待を込めての『人間形成』のための新入社員教育に、禅が利用されるなんて真っ平である。これほど、禅を悪用することはないからである。

 そのような野心、もしくは意図をもって来られた人に、私は、いつも次の言葉をのべて、返事にかえている。」

 

達磨大師、梁の武帝に見ゆ。帝問う。朕、寺をたて僧を度す。何の功徳がある。達磨いわく、無功徳」

 

 

 

ここの章を読んで、自分で自分に問いかけ、自分と深く向き合わされました。

「自分の思い通りにさせようとしてはいないだろうか。」

 

「自分が教えたから、相手が分かるように、できるようになった。」というのは、完全に傲慢だと思います。

 

相手が教わろうとしてくれたから、分かるように、できるようになりたいと思ってくれて努力したからに過ぎません。

それなのに「教えてくれてありがとう」と言ってもらえることに対する感謝の念を、常に意識しておかねばならないと感じたのでありました(^^)

 

 

 

 

その他にも、

 

「社長は便所掃除をせよ」

「自殺するなんて威張るな」

「若者に未来などあるものか」

「犬のように食え」

地震ぐらいで驚くな」

「死ねなんだら死ぬな」

 

と過激な物言い笑

 

しかしそこにあるエピソードや込められた想いというのは、言い表せないものばかりです。

だからこそ、是非この本は読んでほしいです!

 

 

あ、一応補足しておきますが、

「ガキは大いに叩いてやれ」という章があります。

そこに載っているエピソードは「それはさすがにやりすぎでしょ…」

ダメです。

 

 

 

 

読み終えて、「あぁ終わってしまったかぁ…」と思っていると、

あとがきの執行草舟さんの内容もまた、なんとも。

 

最後の最後まで心動かされた一冊でした(^^)

 

 

 

おもしろおかしくやるんべぇ♪