おもしろおかしくやるんべぇ~ゆとり世代も悪かねぇ~

THEゆとり世代。さとり世代とも言われる世代「ふたば」の見方や考え方、そして日々の学びをまとめたブログ。

台風が過ぎ、畑の様子。

 

先日の台風で、我が畑も豪雨に見舞われました。

どうなったか心配でしたが、なかなか確認できず。

 

 

ようやく時間ができ、

様子を見に行ってみたところ、、、

 

 

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咲き誇るマリーゴールドが出迎えてくれました(^^)

 

 

 

台風による影響はほとんどなく、柵も無事でした。

雨が中心で、風はそこまで強くなかったからかな。

 

 

 

 

 

 

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ダイズは良い枯れ具合。

 

今は濡れているので、晴れて乾燥したら収穫したいと思います。

 

 

 

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ニンジンも随分大きく成長していました。

ほったらかしにしていたのに、ここまで育つとは。

 

 

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ゴボウはこんな具合。

 

 

 

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新しく種を撒き、芽が出てきたコマツナ

 

 

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そしてこちらの茎が赤っぽいのがホウレンソウ。

 

 

この2つも、どこまで育つか楽しみです。

 

 

 

 

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柵の外側に土を寄せ、そこに種を撒いてみたネギ。

 

動物除けになるかどうかを試してみるのが主の目的ですが、

あわせて収穫までいけたら嬉しいなぁ。

 

 

 

 

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近くの山。

 

雨後の山霧。

 

癒されました(^^)

 

 

 

 

実は、

台風の過ぎた翌日にも行ったのですが、

 

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近くの沢の水量が増え、

畑までの道が綺麗に流されてしまっていました。

とても畑を見に行ける様子ではなく断念していたのでした。

 

 

 

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こちらは畑のある所から、もう少し坂を上ったところの様子。

 

この右側に川があるのですが、その水量が増え、木が倒れてしまったようです。

 

 

 

川の様子を見てみると、、、

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もの凄い水量と音の濁流。

 

自然の力に人の力は及ばないことを痛感しました。

 

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しかし、悪いことばかりではありませんでした。

 

こんな風に、上に積もった土が流され、その下の青い綺麗な岩盤が露出しているところが見られました。

 

畑のあるところも、こんな風に、その下には青くきれいな岩盤が続いていて、

その上に腐葉土をはじめとした層が、ほんの少し積み重なっているだけなんだなあと。

 

そしてその上で頑張って木々が根を伸ばし、森ができているんだなあと。

 

 

 

新しい観光スポットになるんじゃないかなと思うくらい綺麗でした(^^)

 

 

というわけで、

今回の台風で「自然に生かしてもらっている」ということを強く感じたのでありました。

 

 

おもしろおかしくやるんべぇ♪

 

 

ちなみに、はてなブログも、

今週のお題「秋の空気」

だそうで(^^)

ウエジョビとイベントの話。

 

先週はこちらのイベントに参加してきました。

 

www.facebook.com

 

 

以前から気にはなっていたけれど、そこから先には進んでいなかった

ウエジョビとヒダカズ先生。

 

今回、ようやく繋がることができました。

 

 

 

先日の台風で長野は大きな被害を受け、イベントは開催されるのかどうかというところでした。

しかし「やる!」ということだったので、会場に向かいました。

 

 

群馬から長野に抜ける上信越道は、途中通行止め。

なので、軽井沢の山越えは碓氷バイパスを通りました。

 

行きは問題なかったのですが、反対方向は大渋滞。

帰りはこの渋滞を覚悟せねばならないのか、と思いながら、会場に着きました。

 

 

今回のイベントはウエジョビの開校70周年を記念してのもの。

ウエジョビがどうしてできたのかという話から始まりました。

 

始めは小さなそろばん塾。

創立者の佐藤勲先生の、私財を投じて最新設備を導入し、何十年間も毎日朝早くから夜遅くまで学校にいらしたという志の高さに心打たれました。

 

 

 

 

最初は佐藤芳直氏の講演から。

 

日本のローカル線や田園風景。そして発酵食品。

日本からどんどん失われつつあるものに、海外の人は注目している。

 

持続可能性は日本にある

日本は経済大国ではなく、文化大国として生きる、

という話が心に残りました。

 

 

 

続いて木下晴弘氏の講演。

 

2つの鉄則は、

・願望に惑わされず、自然界の法則に従うこと。

・現象に惑わされず、本質を見抜くこと。

 

前者については、野菜作りを通して、経験的に感じていたことでした。

しかし後者については、今でも目に見えるものに振り回されているなぁと、それまでのあれこれを振り返るきっかけとなりました。

 

 

他にも、

「自分の周りに起こる出来事は、自分が創り出した結果である」

という立場をとって物事を見ることができるか、と覚悟を問われた気がしました。

 

 

 

 

イベントの主催者側も参加者側も、みなさん台風の影響で大変なはずです。

 

それでもこうして多くの人が集まり、一つのイベントが開催されたこと、

いろんな人にお会いでき、また新たな繋がりが生まれたこと。

 

全てが本当に貴重で、ありがたいなぁと思いました。

 

 

 

イベントの後は、懇親会にも参加させていただきました。

ここでもまたいろんな話ができ、学び多き一日となりました。

 

少し早めに懇親会を抜けさせていただき、帰路に就いたわけですが、

途中濃霧が出ていたくらいで、特に渋滞することもなく、すいすいと帰ることができました。

 

こうした一つひとつのことが、すべてありがたいと思えるようになった。

それもまたありがたい(^^)

 

 

おもしろおかしくやるんべぇ♪

考えるよりまず行動、とは言うけれど、、、の話

 

最近のホットワード、「業捨(ごうしゃ)」

 

 

施術を受けた方の写真を見ると、なんじゃこりゃという感じ。

 

自分は受けることは無いかなぁ、と思っていたのですが、、、

 

 

 

 

 

ほんの2,3日前、業捨の先生とお会いし、直接お話しする機会がありました。

 

今回の台風の接近により、業捨の予約でキャンセルが出たそうで。

 

 

私もこの3連休の予定をキャンセルしていたので、ちょうど空いていたところに予約を入れる流れに。

 

 

 

 

 

これは何かのメッセージだと思い、受けてみようと覚悟を決めました。

 

 

 

向かう途中は何ともなかったのですが、施術所に着き看板を目にすると、さすがに少し緊張してきました。

 

なにせ実際に施術を受けた人の様子を見た直後だったので。

 

 

 

 

 

始めてみると、

 

 

 

 

 

痛い(^^)笑

 

 

 

 

痛みと、時々のくすぐったさと、痛みから逃れようとして強張る筋肉の疲労と。

 

 

釘か何かで擦られて、皮膚から血が滲んでいるんじゃないかと思っても、

どうみても指先で擦られているだけ。

 

なのになんだ、この痛みは(^^)笑

 

 

特に腕と頭が痛くて、

頭をやってもらっている間は、自然に涙と鼻水が出てきます。

 

 

 

 

施術の痕跡を記念に撮影しましたが、さすがにここに載せられるものではありません笑

 

どうなるのか、どうしても気になるという方はググってくださいな(^^)

 

 

 

 

跡は確かに凄いけれど、触ってみても痛くありません。

特に痛かったところほど過度な力が抜け、柔らかくなった感じがします。

 

なにより体が軽くなりました。

 

ただ、痛みから逃れようと強張り、もがいたので、若干の筋肉痛です笑

 

 

 

痛かったけれど、勇気を出して受けてみてよかったです!痛かったけれど。

 

 

 

台風の影響で身動きの取れない状況。

これまでに溜めてきたものを、ゆっくりじっくり浄化しなさい、というメッセージだったのかな(^^)

 

おもしろおかしくやるんべぇ♪

 

業捨(ごうしゃ)―悪業を抜き病を治す

業捨(ごうしゃ)―悪業を抜き病を治す

 

なるほどなぁ、分数のたし算とひき算の話。

 

算数では分数のたし算とひき算をやっています。

 

今回は異分母の分数の計算なので、通分が必要なパターンのやつです。

 

 

 

よく、分数のたし算やひき算では、「分子同士だけでなく、分母同士も足したり引いたりしてしまう」ということが想定されます。

 

ところが、

「分数とはどういう数か」という意味はよく分かっているので、既習事項を基にすれば、分母を足したり引いたりすることは、ほぼありません。

 

 

 

むしろ間違えやすいのは、正しく計算すること。

 

・ひき算なのにたし算をしてしまう(逆もしかり)。

・そもそもの、たし算やひき算の計算ミス。

・通分のミス(分母に3をかけたのに、分子には2をかけてしまう、など)。

・約分のミス(分母は3で割ったのに、分子は2で割ってしまう、など)。

・仮分数から帯分数に、帯分数から仮分数に直すときに、分子を間違える。

・帯分数の整数部分の計算を忘れる。

・帯分数の整数部分を、分子の十の位の数字と読み間違える。

・仮分数を帯分数に直したらホッとしてしまって、約分を忘れる。

・最小公倍数ではない分母で通分し、計算後の分母と分子が大きくなりすぎ、約分できることに気づかない。

 

 

とまぁ、計算において気をつけなければならないことが、ぱっと思いつくだけでもこれだけ出てきます。

これらのうち、どこかを間違えるだけで、その計算は不正解になってしまいます。

 

 

 

そうなると、分数のたし算やひき算においては、

「どうやって計算するか」よりもまずは「正しく計算する技能を高めること」の方が大切なように思います。

 

 

ならば、計算の仕方の説明にかける時間をどれだけ減らし、計算練習に時間をどれだけ費やせるか。

一問にそこまで時間をかけられませんから、ある程度慣れてスピードを上げることも必要。そうなるとそれだけの練習量も必要です。

 

 

「なぜそういう計算になるのか」を考えさせ、計算の仕方をペアやグループ、もしくは学級全体で説明させるという、今主流の授業とは真逆です(^^)

 

むしろ、詰め込み型笑

 

 

 

 

 

全てを「なんちゃらスタンダード」に当てはめる必要は無いと思います。

話し合い学び合い型か、教え込み詰め込み型か、その区別さえも必要ないと思います。

 

その教科や単元の特性から、どう取り組むのが最大限ベターかを考え、

あとは試行錯誤しながら取り組むしかないんじゃないかなぁ。

 

 

 

 

想定通りには進まない(^^)

 

おもしろおかしくやるんべぇ♪

き、記憶が、、、って話。

 

これまでに何度も言っていることですが、

どうしてブログを更新するのか。

 

その一つは、その時の新鮮な感覚と気持ちを残しておくためです。

 

 

 

日々、新たな出逢いや学びがあります。

それはととてもありがたいことなのですが、それらが積み重なっていくと、

いつしかその時の感覚が自分でも分からなくなってきます。

記憶もあいまいになってきます。

 

 

そこで、ブログをクラウド代わりにし、

脳内のデータをバックアップしています。

 

 

そうすることにより、脳内の空き容量を増やし、また新たなことを吸収できるようにしています。

「頭空っぽの方が、夢詰め込める」って言うし!

 

 

しかしそれが習慣化してくると、、、確実に記憶力が落ちた気がします笑

代わりにスマホのメモがどんどんと溜まっていく…

 

 

「今」に集中するようになり、過去を振り返ることが少なくなりました。

あれこれ考えすぎることは減ってきたけれど、過去を思い返す場面が激減したことで、記憶が薄れていっているようなー

 あちゃー

 

 

 

普段子どもたちに接するときには、いつも小学生「ふたば」がいて、

「自分が小学生の頃、どうだったら良いかな。反対に嫌かな。」

ということを考えて言動に移しています。

 

ところがその感覚さえ若干薄れ、

「あれ?こういう時、自分だったらどう感じたかな。」

と分からなくなることもしばしば。

 

 

 

裕福ではなかったけれど、明日どうなるか分からない、ということもなく、

大した不自由することなく生活してこられた私。

病気をしたこともあったらしいけれど、ほとんど記憶にありません。

 

 

分かりやすく「反抗する」ことはなく、むしろ面倒なことになるのは厄介なので、

当たり障りなーく、それとなーく乗り切ってきた私。

 

 

ところが自分の将来と向き合わねばならなくなったとき、

特にこれといったこだわりや強みがなく、進路なんて考えられるはずもなく、

そんな空虚な自分に自信を無くし、思考がそこにいかないよう気を紛らし。

 

 

それでも今こうして生きていて…

 

 

という経験をしてきたことやその感覚が、ある意味私の強みであり、

それが私が今教員をやり続けている意味でもあるのかなと思っています。

 

 

子どもの時の感覚を、自分でも分からなくなったとき、

目の前の子どもたちと私の感覚のずれが大きくなったとき(時代の移り変わり?)、

私の中での担任としての役目は、一区切りとなってしまうのかなと、ふと感じました。

 

 

その時には、近い感覚をもつ層の子どもたちが、社会人になる頃でしょう。

今度はそこをターゲットに、自分の立ち位置を変えることになるのかもしれません。

 

 

いや、ターゲットとなる層はいつも同じか。

親子ほど年齢の離れない、近い世代。

ここまでが私にできる範囲で、その先は次世代にバトンパス

 

そうして伝播し循環していくのかなぁ(^^)

 

 

 

 

その感覚をいつまでも持ち続けていられたとしたら、ずーっと担任なのかもしれないけれど。

 

 

幼心を忘れずに(^^)

 

おもしろおかしくやるんべぇ♪

心揺るがす社説の話。

 

 

先日紹介した、みやざき中央新聞のイベント。

 

www.futaba1107.com

 

その際、編集長の水谷もりひとさんの著書を購入しました。

 

 

いま伝えたい!子どもの心を揺るがす“すごい”人たち

いま伝えたい!子どもの心を揺るがす“すごい”人たち

 

 

 

各地の講演会などを回り、「いい話」をたくさんご存じの水谷さん。

そうして書かれた社説の中から選りすぐりのものがまとめられていました。 

 

なかなか読む時間が取れず、だいぶ時間が経ってしまいましたがようやく読了。

 

特に心に残ったことをまとめておきたいと思います。

 

 

 

モノに名前をつけて呼んでみる

 

エッセイストの志賀内泰弘さんの著書「教育革命 ~塾が作った学校の挑戦~」の中に、

ボールに名前を付けた話が載っているそうです。

 

教育革命

教育革命

 

 

 

鹿児島市にある池田学園の学園長・池田弘さんが小学校の教諭をしていた時の話です。

 

休み時間後の校庭にボールが放置されており、ホームルームでこの問題を取り上げました。

ふと挙がった「ボールに名前をつける」というアイディアを採用してみたところ、放置されることが無くなったそうです。それどころか、汚れを布で拭いたりし、大切に扱うようになったそうです。

 

 

昔は物資が少なく、生活は貧しかった。けれども心は豊かだった。

今は物資に恵まれ、生活も豊かになった。反面心の豊かさが失われている。

そんな風に感じることが多々あります。

 

 

この物に名前を付けるというアイディアにより、たくさんある中の一つのボール、という意識ではなく、「このボール」という愛着が生まれたのかなと思います。

 

 

 名前のもつ効果ってすごい(^^)

 

 

まず感性を、その次に知性を

 

日本外科学会名誉会長、井口潔先生の話。

 

人間はまず「ヒト」として生まれてきます。健常児であれば身体は100パーセント完成していますが、脳はチンパンジーとさほど変わらないそうです。

その後、「ヒト」は「教育」によって「人間」になる。教育をしなかったら何歳になっても「ヒト」のままなのだそうです。

 

0歳~10歳くらいまでの子どもには、道徳心や真善美など、感性の教育が必要。

そして10歳~20歳までに必要なのが知性の教育。

 

感性が育っていないのに知性教育を前倒しして、理論・理屈で考える脳が先にできてしまうと、場の空気が読めなかったり、思いやりが欠如していたり、「法律に違反していなければ問題ないでしょ」みたいな考え方をする人間になってしまうそうです。

 

 

「とにかく覚えろ」「駄目なものは駄目」「意味はそのうち分かる」と、江戸時代の幼少期の教育は意味を教えなかった。

「あいさつをしろ」「靴を揃えろ」「食事の前には手を合わせろ」などど、道徳を詰め込んで感性脳を育てた。

そのことによって人格が形成された。

もし、順番を間違えて青年期から道徳をすると、それは処世術になってしまうそうです。

 

 

もちろんこうした教育が優れているのかと言えば、強制しすぎたり、暴力による教育とならないようにしたりするなど、考えなおさねばならないこともあり、優れているとは言い切れません。

ただ現状として、少子化によって子どもに手厚い支援がなされたり、寿命の延びによって相対的な子どもの期間が延びたりするなどし、精神面での成長のペースが遅く、感性の教育の必要性が高まっているように感じます。

 

「なぜ?」と考えないと動けない年齢になる前に、まずは習慣として身につけ、

その後「なぜ〇〇をすることは大切なのか?」と自分なりに考えさせ、要不要を自ら選択できるようにしていければいいのかなぁ、なんて思います。

 

 

 

前回の記事ではありませんが、

 

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生まれた時はだれもが「天命追求型」なのかなぁ、なんて思ったのでありました(^^)

 

 

おもしろおかしくやるんべぇ♪

「目標達成型」と「天命追求型」の話。

 

白駒妃登美さんという方の講演から聞いた、この二つの言葉。

 

 

夢を叶えようとするとき、「目標達成型」のタイプと「天命追求型」のタイプとがあるらしい。

 

 

「目標達成型」というのは、ゴールをイメージし、そこに至るまでのプロセスを考え、あとは達成に向けて取り組んでいくこと。

最近よく言われるタイプの夢の叶え方ですね。

 

 

一方「天命追求型」は、目の前のことに集中して取り組んでいたら、なんとなく新たな道が拓けてくる、そんな感じです。

 

 

 

私は夢をもったり目標を立てたりするのが苦手です。

 

小学生の頃、「〇学期の目標」なんてのを書かされましたが、しっかりとした目標なんてものは私には無く、それっぽいことを書いて乗り切っていました。

結局、目標を見返すこともありませんでした。

 

それから「将来の夢」を考えるのも苦手でした。目の前の物事に夢中で、長期的な視点で物事を考えていなかったからです。

昆虫採集にハマっているときは「昆虫博士」、バスケットボールにハマれば「バスケットボール選手」。そんな風に、その時の興味に合わせて夢もころころと変化していました。

私にとって「将来の夢」を考えることはその程度でしかなく、むしろ明確な夢をもって何かに打ち込んでいない自分自身に嫌気がさすくらいでした。

 

 

 

思い返せば、この職に就いたのも、ひょんなことがきっかけです。

なんとしてでも教員になる、という強い思いが、元からあったわけではありませんでした。

 

 

しかし職に就いてからは、まずは少しでも早く慣れるよう、必死でもがきました。

そうしているうちに「これってどうなんだろう?」「もっといいやり方はないのだろうか?」と疑問が浮かぶようになりました。

そして、その疑問を解決すべく、行動するようになりました。

 

こうなる自分を思い描いていたわけではありません。

気付いたら、いつの間にかこんな自分になっていた。そんな感じです。

 

 

 

私は「天命追求型」寄りなのだと思います。

 

 

 

ゴールをイメージし、逆算して取り組むというのは苦手。

 

どうもしっくりこないPDCAサイクル

まずPができないから笑

 

なので私の場合はDDDD(^^)

 

 

 

授業の初めの「めあて」と、授業終わりの「まとめ」や「振り返り」。

こういう授業の流れに違和感を感じる理由も、何となく分かりました。

 

きっと予定調和的な、終着点が予め決まっていることを取り組むことに、あまり魅力を感じないのだと思います。

 

研究授業も、指導案を作り終えた時点で、終了。

時間と労力をかけて練った授業の割に、実際の授業でしっくりこないのは、きっとこういうことが原因なのでしょう。

 

 日々目の前のことを、子どもたちと一緒に全力で取り組み、その中で起こる予想外のことやハプニングをも楽しみたいのだと思います。

そして、そうやって一緒に成長していきたいのだと思います。

 

 

 

「天命追求型」で良かったと思います。

1年前に、今自分がやっていることや考えていることなんて、全く想像していませんでした。

それくらい先のことなんて分からないのに、明確な自分の将来の夢や目標を立てるのは非常に難しいです。

 

明確な目標や夢があることで、せっかくの転機を逃してしまう、ということもあるかもしれません。

 

今の自分が想像しうる範囲の中で生きていくのもいいですが、私はそれはちょっともったいないなぁと思います。

 

 

 

「夢や目標をもって、順序だてて物事に取り組むべきだ」という流れが強い今だからこそ、

それを苦手とし悩みながらも、なんとかその場その場を乗り切り、こうして今を生きている私が教員をしていることに意味があるのかな、なんて感じます(^^)

 

 

おもしろおかしくやるんべぇ♪