おもしろおかしくやるんべぇ~ゆとり世代も悪かねぇ~

THEゆとり世代。さとり世代とも言われる世代「ふたば」の見方や考え方、そして日々の学びをまとめたブログ。

TOMO有り、遠方より(連絡)来たる。

 

私の大学時代の先輩であり、学生ボランティアの先輩であり仲間でもあり、

そして『学び合い』に出合うきっかけとなったTOMOさん。

(小冊子を読んでいただいた方には、「あー!」と心当たりがあるのではないでしょうか)

 

そんなTOMOさんからも小冊子をお求めいただき、お送りしました。

 

 

 

そうすると、なんと、

「群馬行くわ!」との連絡が。

 

 

しかし都合がつかなかったので、直接会って話をするのはまたの機会にし、

今回はオンライン通話をすることに(^^)

 

 

 

はじめて会った時のことなど、過去のあれこれ、

 

 

今のお互いの近況、

 

 

そして私の大きな決断。

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あれこれ話していたら、あっという間に時間が経ってしまいました。

 

 

 

 

私はヘアーサロンマルヤマのあっちゃん、よっちゃんとのつながりの中で、喜多川泰さんの作品と出合いました。

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TOMOさんはウエジョビのヒダカズさんとの繋がりで喜多川作品に出合ったそうです。しかも私よりも遥かに前に。

 

 

そうすればもう、中村文昭さんに大嶋啓介さんに小玉宏さん(たまちゃん)にと、共通項が増えていくのは当然のこと。

 

 

気付けば、連絡を取るのは大学を離れて以来、数年ぶりです。

ところが知らないうちに同じような道を歩んでいたので、久しぶり、という感じが全くしませんでした。

こうして再びつながるのも、必然だったのだと思います。

 

 

 

本当は直接会って杯を交わしたいところですが、

こうしてオンライン上で、飲みながら語り合えるのも最高です。良い時代だなぁ(^^)

 

 

おもしろおかしくやるんべぇ♪

教わるということ。

 

 今朝の業前活動は読み聞かせでした。

地域のボランティアの方が来校し、読み聞かせをしてくださいます。

 

 

今日、担当してくださったのは、ある高齢の女性でした。

 

 

 

読んでくださったのは、この本です。

 

ともだち

ともだち

 

 

読み聞かせに入る前に、その方の「ともだち」について話してくださいました。

 

 

その方の「ともだち」は、病院に入院しています。

寝たきりで、もう記憶もないのだそう。

 

「お見舞いに行った方がいいかね。行ったらかえって迷惑になっちゃうかね。」

こう、他の「ともだち」と相談しながら、時々お見舞いに行く。

そんな日々を送っているそうです。

 

 

 

また、以前に、この方から戦争体験について話を聞かせてもらったことがありました。

 

 

小学生の頃の、唯一の「ともだち」

一緒に卒業することなく、病気か何かでなくしたそうです。

 

 

今の小学生、もちろん私にとっても、その状況や感覚はとても理解できるようなものではありません。

 

 

 

退職する前、その方は小学校の先生でした。

 

私にとって、大大大先輩です。

 

 

 

 

子どもにとっては、少し話の長いおばあちゃん、という風にしか見えていなかったかもしれません。

 

 

しかし、その方の背景を知れば、

その方が「ともだち」を読み聞かせしてくれることの意味、

なぜ話が長くなってしまうのか、

そんなことも感じ取れます。

 

 

当たり前のように、与えてもらうのを待つのではなく、

自分から何か一つでも学び取ろう、感じ取ろうとすること。

 

 

そんな「教わるということ」について、読み聞かせ後の朝の会で話をしました。

 

今年度で一、二を争うレベルで、集中して話を聞いていてくれてたかも。

 

そんな子どもたちの姿から、私もまたいろいろと学ぶのでした。

 

 

 

おもしろおかしくやるんべぇ♪

いろいろと手放した話。

 

最近身の回りに物が増えてきてしまったので、

お片付けをを進めていました。

 

 

気付けば長い年月が経っていた物、

そもそも存在さえ忘れていた物、

たくさん出てきました。

 

上手く活用してあげられなかったことへの謝罪と、

これまでお世話になった感謝の気持ちを込めて、

 

 

全捨離!

 

全捨て!

 

 

 

神社への朔日参り&ごみ拾いも作用してか、

 

心身ともにすっきり(^^)

 

 

 

こうした意識の変化からでしょうか。

 

自分にとって、ものすごく大きなものを手放すことを決意しました。

 

 

これからどうなるかな、

これからどうするかな、

と昨日は考えがぐるぐるとしていたのですが、

 

 

寝て起きたら、意外とすっきり(^^)

 

これからに、わくわくしてさえきました!

 

 

今日は月と太陽、陰と陽とが混在する日。

そんな日に、生まれ変わり。

 

これから何が起こるか、楽しみだなー

 

おもしろおかしくやるんべぇ♪

どたばたな話

 

これまでの自分のことをまとめた小冊子を作りました。

(このことに関しては、後日もう一度詳しくまとめ直したいと思います。)

 

「もらってくださる方、いらっしゃいますかー?」と呼びかけてみたら、

全国各地から、想像をはるかに超える反応をいただきました。

 

 

まとめて送付した第1弾は、そろそろ届き始めているのではないかと思います。

少し期待値が上がりすぎてしまっているような感じがして、がっかりされたらと心配なところがありますが…

何か届くもの、響くものがあれば嬉しいです。

 

既に届き、お読みいただいた方で、コメントをくださった方もいらっしゃいました。ありがとうございます(^^)

 

第2弾以降は、発想の希望がある程度集まったら、まとめて送付しようと思います。

お近くの方、直接会える方には、その際お渡ししますので♪

 

 

 

と、小冊子づくりがひと段落した途端、

 

日々の業務が舞い込む舞い込む💦

 

 

一日に終わらせられる量が1だとしたら、毎日1.3~1.5くらいの新たな業務が増えます。

 

 

うひょー。

 

とてもではないけれど、終わりません。

 

働き方改革

多忙化解消?

どこに行ったんだー

 

 

と嘆きたくなりましたが、

ふとあることを思い出しました。

 

 

 

 

5月初めの連休中、全国一之宮巡りをしました。

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その時訪れたすべての神社で、

 

「すべて神様に委ねます!」という意味の祝詞を奏上しています。

 

 

 

 

そ、そうか!

 

この状況は自分で招いたんだった!

 

 

きっと試されてるんですねー

 

やってやりましょう!!

 

 

 

 

ということで、準備をして早速出勤します(^^)

 

 

おもしろおかしくやるんべぇ♪

集金の話

 

集金日。

 

無くなったり何かあると大変なので、持ってきたお金は登校後すぐに集めています。

 

 

 

 

ある集金日の朝のこと。

 

 

「あああ~、俺のおこづかいがぁ~」

 

と嘆く声。

 

 

 

話を聞くと、どうやら自分のお小遣いから教材費などの集金を出しているそう。

 

まぁ実際はそれも見越してお小遣いをもらっているんだろうけど。

 

 

 

 

でも今どきの小学生が、自分が使うものであっても、こうして自分でお金を出す経験ってあまりないと思う。

 

「あああ~」と嘆く気持ちはもちろん分かる。

と嘆きつつも、手渡してくれるときには良い表情をしている。

 

 

こういう経験ができる環境にいる、ということがどれだけ幸せなことか、いつか気付ける時が来るといいなぁ。

 

 

 

今どき、現金での集金なんてほとんどなく、口座引き落としが大半だと思う。

その方が手間が省けるし、紛失などのリスクもなくなる。良いことばかり。

 

 

 

ただ、、、

 

 

便利さや効率の良さではなく、

 

 

不便であったり非効率であったりすることの中にこそ、

 

 

本質的な価値に気付くきっかけ、教育の効果が眠っているのかも。

 

 

そんな風に感じたのでありました(^^)

 

 

おもしろおかしくやるんべぇ♪

古武術からの発想、の話。

 

 

今回読んだ本はこちら。

 

古武術からの発想 PHP文庫

古武術からの発想 PHP文庫

 

 

 

タテゴシ体操に出会ってから、「健康な体」について興味が増し、

たまたま目にしたこの本を読んでみました。

 

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前半は古武術の身のこなし方などを説明しているのですが、

私は武術、武道をやっているわけでないのでよく分からず…

 

少しこれから何か始めてみようかなぁ。

 

 

 

専門的でわかりづらい中でもなるほどなぁと思ったのが、

古武術の基本は「アソビ」や「ウネリ」のない動きだということ。

 

野球のピッチャーがボールを投げる時のように、確かに体を鞭のようにしならせれば速い球を投げられるかもしれません。

 

しかし先行動作を見せてしまっては、武術の世界では致命的。

 

イメージは、体がいくつかに分かれて、それぞれが独立して動く感じ。

一本の鞭のようにしなるのとは全く違う動きです。

 

 

例えるなら、哺乳類や鳥の群れの先頭が方向を変え、後続もそれに合わせて変えていく、動きの波が伝わっていくというのが現代的な体の使い方。

 

古武術的な使い方は、誰かが合図を出したわけでもなく、魚の群れが一斉に方向を変えるような、それぞれが独立して瞬時に動く、ああいうイメージ。

 

イメージは分かった。ではどうすればいいのかというと、

 

うーん。

 

分からん(^^)

 

 

 

 

この本の最後の方に、著者の甲野善紀さんが、古武術を極めていく過程で見出した、いろいろな考えがまとめられています。

 

 

 

よく「丹田」を意識することの大切さが言われたりします。

 

 

無住心剣術」という流儀があるそうです。しかし重要だと思われる、「丹田を自覚し、鍛える『練丹』」について、書物などで残しませんでした。

後学の者たちは、「これは大きなミスであり、そのために彼らの優れた流儀を学ぶのに必要な手掛かりをなくした」と評したそうです。

 

ところが、そうした手掛かりのないはずの流儀を、相当に使える門人が輩出されていったそうです。

 

しかし、重要な手掛かりであるはずの『練丹』を打ち出して門人を導いた者の門下には、剣術史上に残るような剣客は出なかったそうです。

 

このことについて甲野さんは、

丹田の法が間違っていた、ということではなくて『丹田』などと言われると、『ああ、それさえ得ればいいのだな』と、稽古する者が安易な発想になって、何か、観念的信仰的に『丹田丹田』と思い込むことで、何か、やったような気分になるからじゃないでしょうか。

これは様々な新宗教や能力開発法にも見られることですが、元々あったものを簡易化し、何か、信仰の対象のようにして打ち出すと分かりやすいですから普及はするんですが、なかなか深く入ってゆきにくい、ということがあるのでしょう。」

と言っています。

 

確かにキーワード的な物やノウハウがあると分かりやすいですが、結局それさえできていればOKというようになってしまって、思考停止。その先を追い求めようとしなくなり、成長も無くなってしまうのでしょうね。

これはどんなことにも共通することだと思います。

 

 

 

「基礎基本を大事にする」ということについても考えさせられました。

 

例えば野球の素振り。

一見すると、やっている素振り自体は同じように見えます。

 

しかし始めたばかりの人と経験を重ねた人の素振りが同じものであるわけがありません。

意識の向け方、実際に使われる筋肉や力の入り方など、全く違うはずです。

 

何を「基礎基本」と捉え、どれだけ自分が「基礎基本」を身に着けているのか。

その物事について深く極めた者にしか「基礎基本を大切に」という言葉は使えないなぁと感じました。

 

 

 

またこの方が残している言葉が、どれも深い。

 

まずは代表的ともいえるのが、

 

「運命は完璧に決まっていて、同時に完璧に自由である」

 

 

 

そして、

 

「武術は、力に力でぶつかることではない。それは効率が悪い。

そうではなく、相手の力で崩させる。それは合気道も同じ。

 

こちらが支点を消して気配を消せば、相手は情報を欲しがる。

相手は力を抜き、センサーモードにならざるを得ない。

その受け身のセンサーモードの時に、相手側から脈絡のない動き(=情報)がドッと入ってくると、全く抵抗できないし対応できない。

 

それは、相手の確固たる信念に、こちらも確固たる信念でぶつかっても埒が明かないのと同じ。

むしろ、こちらは自在に変転して、相手を映す。

 

それは、相手にうまく情報を与え、自分で考えさせ、〈買ったほうが得だ〉と自分自身で納得して結論を出させるのが上手なセールスマン、というのと同じ。

 

生きていると決断しないといけないことは現実にたくさんある。

だから、自分の本心に沿うような、決断の時に参照する『モノサシ』を自分自身で身に着けることが必要だ。

自分にとっての具体的なモノサシは『深く静かな呼吸』をしているかどうかということ。

 

『深く静かな呼吸』とは、自分の行動決定を自分の本心に照らして、最も納得できたときに『自然に』生じる呼吸のこと。意識的にする呼吸ではない。」

 

 

 

 

そして「教育」についても、

 

 

 

「教育では、むやみに厳しさを教えなくてもいい。楽しさを教えることが大事だ。

楽しさを教えると興味が引き出されてくる。

熱中すると自信もつき、自然にプライドも育つ。

そのプライドは、自分自身をより厳しい立場へと追い込んでゆく。

そうして厳しさは自然に学ばれていくものだ。

 

何しろ大学に受かりたいだけで学問をやって、仮に大学に入れたとしても、卒業後、今度は就職の厚い壁がある。そこでなんとか企業に採用されたとしても、不愉快な上司の下でストレスのかかる仕事をしなければならない可能性は非常に高い。

 

それよりも、自分で生きる意味、学ぶ意味を、若いうちから自覚できるように学んでいけば、苦労したとしても自分で納得のいく苦労である。

 

仮にどこか就職した後、理不尽な上司と対峙しなくてはならなくなったとき、自分なりの覚悟があれば、そこできっちり言いたいことを言って辞めることもできるし、あるいは理不尽な上司の下で働くことで、自らを磨くという方に積極的な価値を見出すこともできる。

 

とにかく学問が自分の人間力を高めるために使えるように、学ぶことの原点について若いうちから本気で考えることは、これからますます価値観が混沌とし、未来を見通すのが困難な時代で非常に重要なことのように思われる。」

 

と言っています。

甲野先生は、武術や体に一直線に向き合い、その結果こうした自分なりの哲学が生まれ磨かれていったのだと思います。

 

言い換えれば、何かに一直線に向き合う経験のない者がそれっぽいことを言っても、結局は薄っぺらい話にしかならないということです。(と言っている私の考えも、なのですが…)

 

一直線に向き合う、とは、批判を受けることも覚悟し、とにかく行動すること。それを継続すること。なのかなぁ。

 

 

 

 

 

また体の話に戻りますが、

 

江戸時代の人は速く走れないそうです。

まぁあの服では、今のように腕を大きく振ったり足を高く上げたりするというのは不可能でしょう。

しかし全力疾走はできない代わりに、小さい体に大きな力と持久力を秘めていたそうです。今のように筋トレなんてしないだろうし、栄養状況も良くはないでしょう。

剣術を磨いたり、後は日々の生活を送ったりする中で、自然に運動量が確保され、より効率的な体の使い方を見出していったのでしょう。

 

 

 

「体育」という教科がありますが、果たしてそれは本当に「体」を育んでいるのだろうかと思い返してみました。

 

よくあるスポーツテスト。あれは現状の能力の測定に過ぎません。その成果を上げるのであれば、テストの前にいかに多様な運動を行ったか、そうした時間をどれだけ取れたかということが関わってくると思います。

 

日常的な運動量の減っている現在。例えば小学生のうちは、今の低学年のように各分野に分けずに、遊びを通していろんな動きをする時間に。テストにかかる時間ももったいないので、テストもなしにして、その代わりに汗だくへとへとになるくらい運動する時間がたまにはあってもいいのではないかと思います。

 

小さい子は走り回るのが大好き。

心臓が未発達な分、ふくらはぎのポンプを活用して血液を巡らせようとしている、らしいですね。じっと座っていられないのも、こうしたことが関係しているようです。運動量がますます減れば、もっとじっとしていられなかったり姿勢を維持できないような子が増えてくるのではないかと思います。

 

また特定のスポーツをやっていて、そのスポーツにだけ特化している…という子もいたりします。

野山を駆け回ったりして、遊びを通して運動神経が発達し、コツさえつかめばいろいろなスポーツをある程度器用にできるなんてタイプの子が、かつてはもっといたと思います。

 

特定のスポーツに特化した結果、同じような動作が続き、同じ箇所に負荷が多くかかります。そして怪我に繋がります。

選手生命の短いスポーツは、やはりそれだけ無理のある体の使い方をしているのだろうなと思います。

 

引退後もその体と付き合って生きていかねばならない、となったときに、

現代的な体の使い方ってどうなんでしょう。

 

年を取って足を骨折し、車いすや寝たきりの生活になると、一気に体が衰えていくそうです。

平均寿命が延びているのだから、それに伴い、体も長く使えるようにしなくては。

となれば、古武術的な、無理のない最小限の力で最大限の効果を発揮するような体の使い方が、これから重要になってくるのではないかと思います。

 

そしてそういう体の使い方を「体育」でできればいいなぁと思います。

体育全体の中では少ないですが、「体つくり」の時間ってめちゃくちゃ重要ですね(^^)

 

 

おもしろおかしくやるんべぇ♪

ある子の一言。

 

ある日、ある子がこんなことを言ってきました。

 

 

「先生!人生って暇つぶしなんですよね?」

 

 

 

 

えっ!?

 

 

まぁ、そうだと思いますが…

 

 

それをいきなり言われる、聞かれるとは!

 

 

 

 

何かの本で読んだのかもしれないし、

ネットや動画で観たのかもしれない。

 

はたまたこのブログを読んでいた?

 

俺の心の内を読まれた?

 

 

 

 

それは分かりませんが、

何か思うことがあるんだろう、ということは分かります。

 

 

 

 

特に夢も、目標も、とりえと呼べるものもなく、

ただ何となく大人になってしまった私。

 

 

ゲームにハマったことをきっかけに、

「なんだ、現実もゲームと同じ、仮想世界じゃん」と悟った私。

 

 

きっと同じような子もいると思います。

これからますます増えていくんじゃないかな。

 

 

 

こうした状況に陥り、悩みながらも、なんとなーくそこを脱してきた私。

今後も私が教員として続けていく、大きな意味や必要性が見えてきたような気がします(^^)

 

 

 

おもしろおかしくやるんべぇ♪