ふと考えました。
許されるパクリと許されないパクリとは何が違うのだろうと。
例えばアニメの話。
お隣の国の、明らかに廉価版のドラ〇もんや、ネズミさんのランド。
これらは許されない部類でしょう。
では、こちらは?
根本には日本のアニメがあるだろうし、
詳しい方からすれば「これは〇〇に似てる」とか分かるんだろうけど、
「あれっぽいなぁ」というのは若干あるものの、私にはもう分かりません。
これはこれで一つの作品だと思います。
許されるパクリです。
いや、既にパクリと呼ぶ範囲から脱しているのかもしれません。
労働条件や環境が要因で、日本のイラストレーターがどんどん減っています。
ふとアニメを見た時、あまりの作画崩壊っぷりに驚いたことも一度や二度ではないような。ワ〇ピースの映画とか、結構なもんですよ…
「アニメは日本の文化だ」と言うけれど、結構終盤戦に近づいてきているのかもしれませんね。
思えば日本なんてパクリ大国です。
アニメだって、もともとは海外から入ってきたもの。
政治や社会の仕組みから産業に至るまで、パクリだらけの国、日本。
でも徹底的にパクる、ちょっと変えてパクる、いろいろなものを組み合わせてパクる。
いろんなパクり方をして、日本は成長してきたのだと思います。
かくいうこれらの言葉も、しもやんこと下川浩二さんの言葉をパクっています。
https://www.shimoyan-land.com/www.shimoyan-land.com
ちなみに「思いっきり変えてパクる」って、日本はなかなかできないですね。「ちょっと変える」止まりです。
話を戻しまして、
ではなんで日本のパクリが許されるのかというと、
パクった結果、オリジナルの質を超えるレベルのものになっているから。
はたから見れば確かにパクりかもしれないけれど、
高品質にパクってしまえば、それはもう、新たなオリジナルになってしまう。
逆に「パクリだ」と非難を浴びてしまうのは、
オリジナルのレベルを超えられないパクり方をしているから。
ならば、
オリジナルの作者に「パクります!」と言って、
堂々とパクってしまえばいいのに。
それでオリジナルを越えて、元の作者も唸らせるようなものにしてしまえばいいのに。
そうすれば絶対その分野は成長すると思います。
反対に、オリジナルが断固拒否という場合は、既得権益を守ろうとしているのだと思います。そこにはもう、成長はないかもしれません。
まぁ、ただ、
パクるならパクるでちゃんとプロセスを踏んで、堂々とパクりましょうね(^^)
高度にパクった結果、
家電や自動車など、新たな製品を生み出し、日本のポジションを確立しました。
欧米が新たなものを生み出し、
日本がそれを高品質化する。
でも今度は、
お隣の国が、
なるべく質を保ちつつ、価格を下げることに成功しているわけですね。
家電は完全にやられてしまいました。
日本はスマホのシェア、取れませんでしたね。
質を高くすれば価格も上がります。
コスパを考えた時、日本の質は魅力的ではなくなってしまったのでしょう。
自動車はまだ何とかやっています。
多少のコストはかけてでも、安全性が重要ですからね。
でもこれからはどうでしょう。
他社の製品の不具合により、ヤタガラスが飛ばなかった、なんてこともありましたからね。
日本のメーカーの名を背負っていても、一つひとつの小さなパーツは他社製だったりするわけです。
これって食品の「国産」とかにも似ているなぁ。
新たなものを生み出せず、逆にパクられ逆境の日本。
これから何を、パクっていけばいいのでしょう。
もうパクらなくてもいいんじゃないかな。
外側ではなく内側に目を向けてみる。
日本がもともと持っていて、
他国が大金を出してでも欲しいもの。
自然環境。
森や水。
豊かな森は豊かな海を生む。
豊かな土地は豊かな食を生む。
もっと内側に目を向けると、
自分自身の体も人工物ではなく、
自然の一部であるということに気づく。
豊かな食は、健康な体を生む。
健康な体を作るのは、
医者や整体師ではなく、
自分自身。
セルフメンテナンスの重要性。
パクらなくていいじゃん。
一人ひとり、みんな違うオリジナル。
答えは自分に聞け。
おもしろおかしくやるんべぇ♪