久々に『学び合い』実践の記録です。
エピソードを二つ。
席替えをしました。
子どもたちにとっての世界は、意外と狭いものです。
教員ならクラス全体という視点で見ることができますが、子どもたちにはなかなか難しい。席が変わればそれまでの人間関係が一変するというところからも丸わかりです。
ということで関係を固定化させず、いろいろな人とコミュニケーションを取れるように定期的に席替えをしています。頻度は結構高いと思います。
まぁ、授業になってしまえば席なんて関係ないんですけどね。でも席の近い遠いで大きく変わる。そんなもんなんです。
配慮せねばならないこと(視力など)がある子は優先的に、後はいつもくじ引きのランダムです。いろいろな人との関わりを増やしてほしいという願いからです。
みんな席替えをした後、きょろきょろと辺りを見回していました。
小学生の頃、自分が席替えをしたときも、「誰が近くてラッキー」とか考えていたからなぁ。環境の変化に順応しようとしているのでしょう。
席替えをした後の休み時間、教室の後ろの方で何やら話している声が聞こえました。
「〇〇ちゃんは△△君のこと見てあげてね。わたしは☆☆ちゃんのこと見るから。」
「わかったぁ」
本間かいな。
あのきょろきょろの中でそこまで考えていたんかいな。
自分本位でしか考えていなかった、かつての自分を恥ずかしくなりました。
と同時に子どもたちの凄さに感動しました。
席替えひとつの中にも『学び合い』は生きてくるんですねぇ。
続いてもう一つ。
先日、2時間ぶっ続けで授業をしました。2時間で2つの課題。教科も国語と図工。
作文の仕上げと絵の下書きを仕上げることです。諸々の都合により、作文の方が優先順位高め、絵の下書きは進むだけ進めばいいねという感じ。
間のチャイムが鳴ったら休憩、次のチャイムが鳴るまでに再開しようねと、そんな感じでスタートしました。
既に二つとも取り組み始めていたものなので、それぞれ進度に差がありました。
私は、その進度の差がどんどん広がってしまうことについて、少し懸念していました。
ただでさえ作文や絵という進度に差がつきやすい学習。自分のことに没頭してしまえば周りが見えなくなってしまうし、かといって周りばかり気にしていたら自分のことが進まない。どんな感じに進むか、期待と少し心配とが入り混じる感じでした。
45分間。ずっと集中力がもつ子はなかなかいません。
どうなったかというと、「ちょっと一息」のタイミングで立ち上がってクラスを回り、みんなの進行状況を確認していたのです。
そして「ちょっと一息」のタイミングは人によって違います。なので時々誰かが様子を見る、そんな感じで進んでいました。
もちろんみんな集中して作文や絵に取り組んでいるので、声はかけません。「どんな様子かなぁ」とちょっと覗き込むという感じです。それぞれの進行状況を見て、それぞれがどういう状況にあるか自分なりに判断する。やってることものすごく高度じゃないですか!?
で、この子ちょっと行き詰ってるなと思ったら、すーっと机を近くに動かすわけです。
そうしたら行き詰っている子の方から「ねぇねぇ、これって…」と話しかけているのです。
ハンパないって!そんなんできひんやん、普通!!
添削の鬼と化した「私」という最終関門をくぐり、作文についてはほぼ全員が仕上がりました。終わらなかった子もあとは綺麗に清書しなおすだけなので、自分で時間を見つけて終わらせられそうです。絵の下書きについてもだいぶ進みました。
どちらも終わってしまった子は、読書をしたり、自主学習を進めたりと、自分で時間の使い方を考えて新たな学習に取り組んでいました。でもそればかりに没頭するのではなく、ほんのふとした瞬間に周りの様子を見ていました。
つい最近までは、実は進度に差がつき、終わる子は終わるけれど終わらない子は終わらない。そんな状況が続いていました。
そういう上手くいかないことを経験し、どうすべきか考えて行動し始めたのだと思います。それを自然にさっとやってのけてしまうのですから、子どもたちの成長のスピードと度合いには脱帽です。
子どもたちのそんな様子を見て、私自身もっと頑張らなきゃと思う。
そんな『学び合い』の日々なのでした。
おもしろおかしくやるんべぇ♪