おもしろおかしくやるんべぇ~ゆとり世代も悪かねぇ~

THEゆとり世代。さとり世代とも言われる世代「ふたば」の見方や考え方、そして日々の学びをまとめたブログ。

語るん部♪にかける想い

 

昨日は友人と共催しているこの会の活動日でした。

 

www.facebook.com

 

急遽開催することとなりましたが、参加予定の方が周りの方を誘ってくださり、過去最大?の参加者が集まりました。こうした力添えをいただけること、本当にありがたいです。

 

今までいろいろとテーマを決めて開催してきましたが、そのテーマについて話すよりもその後のフリートークのほうが盛り上がるという…

ならば今回は参加者が多いので、自己紹介をしてそのあとの時間は全部フリートークにしてしまおうと考えやってみました。話をどんどん進める方がいて、それを聞く方がいて、参加者の皆さんが積極的に動いてくださったこともあり、結果的には盛り上がったのではないかなと思います。

私はというと、いつもの『学び合い』中の姿と一緒でした。『学び合い』関係から参加された方。私、教室でもあんな感じです。気づいてたかな…

 

自己紹介をする中で共通の趣味が見つかったり、意外とつながりがあることが分かったりと、それも盛り上がったことの一つでした。まぁ偶然ではなく必然なのです。出会うべくして出会い、参加するべくして参加しているのです。そうでなければ、あんな何をするのかようわからない謎の会合に参加することもなかったと思いますよ、きっと笑

今回の出会いによって、これからの人生に新たな変化が生まれたなら、主催した側として嬉しい限りです。そしてこれからも一緒に盛り上げていったり、別の場で自分で立ち上げたり、そんな風に活動が広まっていったなら幸せです。

 

 

 

話は変わって、この本の中で、

魔法のコンパス 道なき道の歩き方

魔法のコンパス 道なき道の歩き方

 

 

かつてタモリさんや所ジョージさんなどは、夜な夜な赤塚不二夫さんの家に集まり(タモリさんは居候してたんだっけ?)、これからやろうとしていたことなどを語り合っていたと書かれていました。

そしてキンコン西野さんが絵本をつくるきっかけを与えたのはタモリさんだそうです。数々の人の才能を開花させたタモリさん。そしてそのタモリさんの才能を開花させた赤塚不二夫さん。こうした流れが合って今の芸能界があります。そしてその時にはいつも「たまり場」のような場所があったそう。

 

今はまだ月に一度のイベント的な「語るん部」。それを週に一度とか、もっと言えば毎日開催できたらいいなと思います。いつ来てもよくていつ帰ってもいい。老若男女誰が来てもいい。何かをしてもいいししなくてもいい。そんな場所の話は以前こちらの記事にまとめました。

www.futaba1107.com

 

古民家借りて1階を開放し、2階に暮らすか?

日中は開けられないし、なにより四六時中ずっとはいたくない笑

2階をシェアハウス的にすればいいのか? いや、いっそ人がいなくとも完全開放にしてしまうのもありか?

 

なんてあれこれ妄想してます(^^)

最近よくお邪魔しているヘアーサロンマルヤマのような雰囲気の場が理想的だなぁ。

 

 

もちろん新たなアイディアや人のつながりが生まれる場としてはもちろん、こうした場を作りたいことにはもう一つ理由があります。

「明日の子供たち」の本に出てくる「無目的スペース」は、児童養護施設を出所した後の子どもたちが頼れる場がないことから、何か困ったことがあったときにふらっと立ち寄れるような場として存在する、という意味がありました。でも変化激しく先の見えない現在社会において、何か困ったときに頼れる場が欲しいのは児童養護施設の子たちだけではないと思います。帰る家があって普通に学校を卒業できているような子であっても、人とのつながりを欲し、漠然とした孤独感を感じていたりします。ネット上では繋がっていてもそれでは満たされず、リアルなつながりを求めている子は多いと思います。そうしたときに救いを求めて立ち寄れる「駆け込み寺」のような場所でもありたいと思います。

 

「生活に困っている」「労働環境や条件が酷く疲弊している」

そんなときにとりあえず一息つけるような場、愚痴を聞いてもらえるような場、「じゃあうちで働くか?」と新たな雇用が生まれるような場。いいよね(^^)

 

 

大学時代の恩師である西川先生。ゼミの卒業生、修了生が現場に出てからも「たまり場」や「駆け込み寺」のように利用できる場として用意してくださったのが「『学び合い』の会」ではないかと、現場に出た今強く感じます。それに助けられた私は各地の『学び合い』の会に参加し、自分にできることで貢献しようと思っています。

 

それと同時に「語るん部♪」をやっています。教え子たちがいつか「たまり場」や「駆け込み寺」として利用できる場になれたとしたら、もう鼻水と涙ひっかけてやります。

 

『学び合い』とは全く別のことをやっているようでいて、実は私の中では『学び合い』の範囲内なんです。