昨日はこんな記事を更新したので、
今日は健康的な食生活について。
「〇〇が体にいい」と一度広まると、即座に陳列棚から消える。
ではそれでみんな健康になったのだろうか。
はてな。
人間だって生物の一つ。
自然の中の一部。
なので一度自然に立ち返ってみる。
原始生物は体はあっても脳はなかった。
だから本質は体に聞け!というのが先日更新したこの記事。
それともう一つ。
進化の過程として、
口、腸、肛門という一本の消化管だけの生物が存在した。
(今もいるんかなぁ。そのあたりは謎)
生物の本質は体と言ったけれど、それは頭や手足ではなく消化管なのかも。
いやその消化管に住む「腸内細菌」なのかもしれない。
腸内には、それはそれは数えきれないほどの数、種類の細菌が住む。
体に良い働きをする「善玉菌」、反対の「悪玉菌」、そしてどちらにも属さず優位な方の味方をする「日和見菌」。
善玉菌:日和見菌:悪玉菌=2:6:2
という法則で存在しているのも面白い。
悪玉菌と言っても、きっと存在するからには何か意味があるはず。だから悪玉菌も含めてこれらの腸内細菌が体にとっては重要なのだと思う。
そしてこの「腸内細菌」は母親から子へと受け継がれるもの。
ということは先祖代々受け継がれてきた。
健康的な食生活を送るにはどうすればいいか。
一番は自分の腸内細菌を調べ、それに合った食事をすればいいのだと思う。
それがなかなか難しければ、やはり日本人なら和食中心の食事がいいのではないかと思う。
食が大きく変わったのは明治維新後。
それ以前、何千年と生きてきた先祖は何を食べていたのか。
やはり玄米だろう。
また各家庭で醤油や味噌、漬物を作ってきた。それら発酵食品には多くの細菌や微生物が関わっている。昔の人はそれが腸にとって大切なことを、何となくわかっていたのではないかな。
炭水化物として玄米。
たんぱく源として大豆や、あとは魚。
そして味噌汁や漬物などから野菜を摂る。塩分も摂る。
この極めて質素な和食が、多くの日本人には合っているように思う。
「パンや牛肉、牛乳は避けたほうがいい」という論があるけれど、
それが絶対かと言えばそうとも限らない。
主に西洋の人は、こうした食物を長く摂ってきた。上手く消化吸収する腸内細菌が多いのかもしれない。
ということはそうした腸内細菌を受け継いでいる人ならば問題ない。
逆にそうした腸内細菌が少なければ、その人には合わないということになる。
体に合わなければ何かしらの反応が出る。
お腹を下したり、アレルギーとして反応が出たり…
例えば私にとってのラーメン。好きだけれど当たり外れが多い。
たぶん使っている油(脂)の種類。
場合によって、食べ終わって車を運転していると、すぐにトイレに駆け込みたくなる。
即、反応に現れている。
こうした時、
「あ、〇〇の油(脂)は自分には合わないのね」と判断すればいい。
自分の体を使っての人体実験。自分に合う食べ物はこうして探すしかない。
そういえば植物の油を摂るって発想自体があまり和食には馴染みがないのかもしれない。天ぷらでさえ明治に入ってから。よく揚げ物とか胃がもたれるっていうけれど、それって実は正常な反応が出ているのかも。
歳をとると脂っこいものが食べられなくなるのではなく、若いから何でも食べられるだけなのかもね。それが長期で体に与える影響ってあるのだろうか。気になる。
というわけで、
一人ひとり体の構成は全く違うのに、同じ食事を摂ろうとしていること、それによって健康体を目指そうとしていることの方が不自然。
自分に合う食事は自分で探すしかない。その時のヒントは自分の腸内細菌の型を知ること。あとは自分のルーツを探って考えることだろう。
健康的な人生を送っていきたいのなら、その情報や判断を他者に委ねる受け身の姿勢ではなく、積極的に自分から見つけなければ。これって子どもたちに語る、学習の話と一緒。受け身の姿勢からの脱却。自主自立。
※追記
最近いろいろな方から個人的に反応をいただくことが増えました。
ありがとうございます(^^)
そしてよく聞かれる、言われるのが、
「いろいろなことを知っていますね。」
それはシンプルなことです。
「多様な人と関わり折り合いをつけながら、自らのミッションを達成しようと自分から動いているから」です。つまり常に『学び合う』姿勢を大切にしているからです。そうすると勝手に情報が入ってきます。もちろん真逆の情報もあります。そして議論を通して納得解を見出し、こうして発信しているだけのなのです。
こうして物事をいろんな視点から考えられるのは、やはり「ゆとり教育」に拠るところが大きいです。
おかげさまで「金銭的・物質的な幸福」ではない、「これからの時代の幸福」の価値観が生まれてきました。きっと同世代の人なら感じている人も多くいるのではないかと思います。
自分から行動することで、自分の人生を自分で切り拓くことになります。
そうすると「今・ココ・この瞬間」を生きることになり、過去を後悔したり未来を不安視している時間が惜しくなります。ならばそれらを「今・ココ・この瞬間」に生かせばいい。
「今・ココ・この瞬間」を生きると、存在しているもの全てがかけがえのない存在に感じられます。今はあっても、明日はもう存在しないかもしれない。そう考えると思い立ったが吉日。行動しないという選択肢がありません。
いやぁ、なんとも、おもしろおかしい人生だなぁ。
そして「ゆとり世代」に生まれてきたことにも感謝感謝(^^)