昨日はこちらに参加させていただきました。
今年は「学びの共同体」と『学び合い』のコラボセミナーでした。
佐藤学先生のこれらの本、
は読んだことがありました。
しかし佐藤学先生の考える「学びの共同体」についてはある程度分かっても、生の実践者の声を聴く、実践の背景にある願いなどを聴く機会はありませんでした。
また机をコの字型にするとか、共有課題とジャンプの課題があるとか、方法にかかわる部分はなんとなく知っていつつも、実際にどのように実践しているのか、それもよく分かっていませんでした。
講演してくださった根岸先生のお話を聞く前は、「学びの共同体」の実践は構成的な要素が強く、教師の手の内で想定しうる範囲で学び合っている、学び合わせているというような印象を受けていました。
しかしそんなことはありませんでした。
例えば学習への意欲が高まらないとき、子どもの背景にはどんな状況があるのかを考えたり、声掛けは教師がしたらよいのか、周りの友だちが声をかけたほうが効果的なのかと選択したりと、目の前の子どもたち一人ひとりに合わせた支援を子どもの様子から学び取ろうとする姿勢は『学び合い』同様だと感じました。
またこれまでの一斉指導と見目形が違うことで、なかなか受け入れられづらかったり、賛同を得にくいことなどは『学び合い』でも同じです。しかし志高く実践し続けることにより、子どもたちにも徐々に変化が現れていきます。結果から共感してもらい、少しずつ実践者も増えていく。こうした地道な取り組みが裏にはあるのだと分かりました。
「学びの共同体」実践は型があり、そこから構成的な要素を感じる部分もあります。
ただ従来型の指導からの少しずつ協働的な学びへと移行したいときには、『学び合い』よりは取り組みやすいかもしれません。
しかし願っていることは、どちらも子どもたちの幸せ。主体的に学んだり、協働したり、そういう力を高めようとしている部分も同じだと思います。
子どもたちの声を聴き、自発的な取り組みを賞賛する。それらにより学級・学校がまさに「共同体」になっていきます。そのレベルにまで達した「学びの共同体」はすでに型の部分から脱却しており、実践者一人ひとりの、学校それぞれの「学びの共同体」実践になっていくように感じました。そしてこれは『学び合い』でも同様です。
極論を言ってしまえば、入口は「学びの共同体」でも『学び合い』でもなんでもいい。
子どもたちを信じ実践した先は、結局同じようなところに行き着く。