ふと思ったこと。
今ではLINEを知らない人はいないのではないか、というくらい認識が広まっている。もちろん私も使っているし、LINE無しでは生活が困ってしまう。それくらい染みついている。
では世の中の100%の人が使っているのか、支持しているのかと言えば、そうではない。
これだけ広まっていても利用しない人もいる。個人情報の面で心配という人もいれば、ライバル会社だから使いたくないとか、みんなと同じに染まりたくない、とかいろんな理由があるだろう。
利用している側からすれば、利用するのが当然。その期間が長くなり生活に溶け込んでくると、利用していない人が思考に入らなくなる。ふとした時にLINEを利用していない人がいると、その時にみんながみんな利用しているわけではないと気づかされる。そしてこう思う。
「なんで使わないの?」
そしてその良さを力説し、インストールさせようとする。
相手が必要としているのであれば構わない。しかしそうでもないのに押し付けられれば相手からしたら嫌悪感しかない。LINEを使ってもらえると自分が楽にメッセージを送れるようになる。相手よりもむしろ自分にメリットがある。
そんな気持ちを見透かされて、余計に距離を置きたくなる。
今では教育現場で『学び合い』を知らない人はいないのではないか、というくらい認識が広まっている。(ちょっと言いすぎ?)もちろん私も実践しているし、『学び合い』無しではいろいろと上手くいかなくなり困ってしまう。それくらい染みついている。
では教員の多くの人が実践しているのか、支持しているのかと言えば、そうではない。
これだけ広まっていても実践しない人もいる。いろいろと心配なところがあるという人もいれば、ライバルだから使いたくないとか、みんなと同じに染まりたくない、とかいろんな理由があるだろう。
実践している側からすれば、実践するのが当然。その期間が長くなり生活に溶け込んでくると、実践していない人が思考に入らなくなる。ふとした時に『学び合い』を実践していない人がいると、その時にみんながみんな実践しているわけではないと気づかされる。そしてこう思う。
「なんで実践しないの?」
そしてその良さを力説し、取り入れさせようとする。
相手が必要としているのであれば構わない。しかしそうでもないのに押し付けられれば相手からしたら嫌悪感しかない。『学び合い』を実践してもらえると同士が増え自分も楽になる。相手よりもむしろ自分にメリットがある。
そんな気持ちを見透かされて、余計に距離を置きたくなる。
ちょっとLINEと『学び合い』とでは普及度に違いがありすぎて、同じように考えるのは無理があるかもしれない。ただあのLINEでさえ100%の人が使っているわけではないことを考えると、『学び合い』が広まりにくいのは当然の話である。
そしてこれはどんな物事にも当てはまると思う。理解されようとして、広めようとして上手くいかなくても「あのLINEだってそうだし」と思えば少し心も軽くなるかな(^^)