新たな分野への広がりの話。

 

久々の更新です!

ブログの更新をする時間が取れないくらい、日々いろいろと起こり、

もう楽しくてたまらない(^^)

 

 

 

先日、「まごころ塾」に参加してきました。

 

 

yachan405.exblog.jp

 

この方のブログによると、「まごころ塾」がスタートしたのは、2001年。

イエローハット創業者の鍵山秀三郎さんを招いたのが第1回だそうです。

 

2001年と言えばまだ私は小学生。

それが今日に至るまで継続されており、参加できるというのは、なんともありがたいことです。

 

 

この「まごころ塾」の参加者は多くが教育関係者のようですが、

ここ最近の講師は教育関係ではない方が多いです。

 

なので知らない分野の話を聞くことができ、とても勉強になります。

 

 

前回は「マジシャンShunさん」でした。

www.convention.pref.gunma.jp

 

 

だいぶ前になりますが、緩和ケア医の萬田緑平先生の話を聞くことができました。

それについては過去にまとめていました。

 

www.futaba1107.com

 

 

 

過去には、群馬で「あこがれ先生プロジェクト」を開催されていたり、

 

まさかの、その際の講師の一人が、「どんぐり亭」の加藤先生であったり。

 

www.futaba1107.com

 

 

いろいろなことが繋がっていって、とてもおもしろい(^^)

 

 

 

 

そして今回の講師は、

 新宿調理師専門学校の校長である、上神田梅雄先生でした。

 

www.sankeibiz.jp

 

お話の中で特に心に残ったことをまとめておこうと思います。

 

 

 

お袋の味文化の衰退

 

これはまさにそう感じます。外食が増えたり、家で食べると言っても買ってきたものだったり。

忙しい日々なのでそれが悪いとは思いませんが、「お袋の味」というものを知らないままに育ってしまうのも…

 

家庭の手料理は見栄えがするわけでもないし、「また…」となりがちな心境も分かります。子どもの頃はその大切さにほとんど気がつきません。

しかしそうした文化が失われてきて初めて、実はとても貴重なものであったことを再認識させられている気がします。

 

 

「食べ物」であっても、「料理」でないものばかり

 

今の日本では「食べ物」に困ることはほとんどありません。

スーパーやコンビニで簡単に手に入ります。

 

 しかしそれらを「誰が」「どのように」作っているのかは分かりません。

 

 

一方「料理」の場合は、作り手の姿が見えます。

自分の為に作ってくれているという想いを感じ取ることもできます。

 

どちらも同じ「食べること」ですが、後者の場合は空腹を満たすだけでなく、心を満たすことができるのだと思います。全く似て非なるものです。

 

 

食への向かい方は、その人の「品性」が現われる

 

今の時代には、食事の礼儀作法に厳しいことは、時代錯誤的かもしれません。

 

とはいえ、食への向かい方にその人の「品性」が現われるというのは、紛れもない事実だと思います。

 

ただ食べるだけなら、わざわざ「いただきます」「ごちそうさま」の挨拶は要りません。

しかしその言葉には、作ってくれた人、食材そのもの、食材を育んだ自然、食にありつけることなどへの感謝やありがたさの想いが込められています。

そこまで意識しているわけではないかもしれませんが、「いただきます」や「ごちそうさま」の挨拶をしようとする心が大切なのだと思います。

 

あとはお箸の使い方をはじめとする、食事の礼儀作法やマナーについても同様のことが言えます。

決して、手を上手く動かすことのできない人にお箸を用いることを強要するような、そういうことではありません。

同じ「食べること」の中にも、より美しさを求めること。これもまた、感謝やありがたいと想う心の表れかもしれません。

 

 

食への向かい方には素が出てしまうので、食べるシーンの演技は難しいそうです。

なるほどー

 

 

割烹とは?

 

今では割烹着を見ることもほとんどありません。

割烹の語源は、

 

割主烹従(かっしゅほうじゅう)

 

だそうです。

 

日本料理以外では、「烹」、つまり炒めたり煮たりする人が厨房の主であることが多いそうです。

大きな中華鍋を料理長が振っている。

そんなイメージです。

 

 

しかし日本の料理の場合は「割」、つまり食材を切ることが主。

食材に対して一番最初に手を加えるのが、切ること。最初が一番肝心なのでしょう。

そう考えると、「板前」や「板長」という言葉にも納得です。

 

 

見返りを期待しない、家庭のまごころ料理

 

厳しい修行を積み、一流の場で活躍された上神田先生が、これを語ることに重みを感じます。

お店で出される料理は、お客さんの舌に合ってナンボのところがあります。

お金をもらっているわけですから、見た目や味など、お客さん好みにして満足してもらおうとするのは当然のこと。

 

しかしそれが本当に相手を想ってのものかと問われると、家庭のまごころ料理には及ばず。

お店のものほどおいしくはないかもしれない。けれど健康を第一に考えて、限られた予算の中で工夫して作られた手料理。そこに込められた愛情は相当なものです。

 

あとはハレとケのバランスなのかな。ハレの日の料理が引き立つのは、日々のケの料理があってこそ。どちらも必要。

 

 

天地自然、神への感謝

 

農産や畜産に関わる人にできること。

彼らは野菜や肉を作ることはできません。作っているのはあくまでもその野菜や動物自体。そして水や空気、太陽など天地自然の恵み。人間にできるのは、よりよく育つよう手助けをすることだけ。

 

農産や畜産に関わることが無くなってきた今、当たり前のはずのこうした感覚を忘れかけている気がします。

神というと少しアレですが、人間の力だけではどうにもならない、大いなるものへの感謝と捉えておけばいいのだと思います。

 

農作業を単なる作業ではなく、「神事」に、という話もありました。

確かに「御田植祭」とかありますし、ちょうど昨日11月23日は勤労感謝の日であり、新嘗祭の日でした(今年は大嘗祭でしたが)。

 

「食」に対し感謝すること。かつては当たり前であった意識を見つめ返す、良いタイミングな気がします。

 

「食」に携わるということは、「神」に携わるということ。

「仕事」とは神に仕える事。

単なる「労働」ではなく、こうした「仕事」の意識をもつこと。

そうお話しされる上神田先生ご自身の、こうした意識、覚悟がバリバリと伝わってきました。

 

 

マグマの熱さで、続くかどうか決まる

 

上神田先生が校長をされるの新宿調理師専門学校では、被災地に行って食事を振舞う、ということを年に1度されているそうです。

長くなってしまうので詳細は省きます。

 

出発前に何時間もかけて準備をします。学生たち、先生たちにとっては大変なことでしょう。

仕込んだものをバスに詰め、現地に向かいます。

直接手渡した時の学生たちの反応、感動はすごいそうです。

 

もう何年も続いているので、だんだんと惰性になってきそうなところですが、学生が書いた感想を読むと、熱量は減っておらず、むしろ高まっているようにも感じられるようです。

毎年行っている先生たちと、人生に1度の学生とでは感じ方が違うのでしょう。

 

 

なぜ惰性にならないのかと言えば、この取り組みをすることになった一番最初の流れ、熱量がとんでもないものであったから。

 

何となく始めただけならば、そう長くは続かない。

最初が肝心なんだなぁ。

 

 

 

 

 

気づいてみれば、久々にものすごく長文になっていました。

それだけ今回の、新たな分野への広がり、というのが自分の中で大きな刺激になったのだと思います。

 

講師の上神田先生にも、先生の話を聞ける場を設定してくださったまごころ塾の方々にも、感謝感謝です(^^)

 

 

おもしろおかしくやるんべぇ♪