おもしろおかしくやるんべぇ~ゆとり世代も悪かねぇ~

THEゆとり世代。さとり世代とも言われる世代「ふたば」の見方や考え方、そして日々の学びをまとめたブログ。

『学び合い』は簡単だけれど、めちゃくちゃ難しい。

 

気づけば教員7年目。

つまり『学び合い』歴も7年目に突入しました。

振り返ってみると、それなりに経験を重ねたのだなぁ。

 

 

 

改めて『学び合い』について考えてみました。

 

 

 

『学び合い』の定義は、

 

「学校は、多様な人と折り合いをつけて自らの課題を達成する経験を通して、その有効性を実感し、より多くの人が自分の同僚であることを学ぶ場」であるという学校観。

 

こうした中で発揮される力や子ども集団は強力であることから「子どもたちは有能である」という子ども観が引き出されます。

 

以上のことから、「教師の仕事は、目標の設定、評価、環境の整備で、教授(子どもから見れば学習)は子どもに任せるべきだ」という授業観も導き出されます。

 

また西川先生のブログにもあるように、「この授業観は研究・実践の蓄積によって、その意味するものは常に再定義され、その適用範囲は徐々に拡大している」とあります。

 

manabiai.g.hatena.ne.jp

 

 

つまり一番根本となっているのは学校観。この学校観なくして子ども観や授業観は成り立ちません。

授業観にばかり目が行き、大前提の学校観が軽視されてしまっていないでしょうか。


また適用範囲が拡大した後の、今現在の授業観の定義って何でしょう。

 


 

 

またこの学校観の下では、いわゆる教え合いや学び合い、みんなで課題達成を目指す学び合いに積極的に参加しない者もいる。

『学び合い』の目的は、いわゆる学び合うことを手段とするものではない。個人として集団として、あらゆるレベルで生存を実現すること(これが「一人も見捨てない」や「全員が達成すること」につながる)を目的としている。とあります。

 

 

以前に私の『学び合い』の捉え方を記事にしました。

 

www.futaba1107.com

www.futaba1107.com

www.futaba1107.com

 

これらの定義と当てはめてみても、私の捉え方は大きくずれてはいないのかなと思います。

 

 

 

「生物の生存戦略に基づく、学習の在り方」と考えれば、『学び合い』はとても簡単。いや、「簡単」というより、「極めてシンプルな理論」と言ったほうが適しているかもしれません。

 

 

 

 

ただこれを実現するとなると、もの凄く難しい。

 

『学び合い』など、新たな理論を学ぶ人は、何か向上心を持っている人だと思います。

よくあるのが、「なかなか授業が上手くいかない」

 

 

ただこの「授業が上手くいかない」にも種類があると思います。

 

まず一般的な授業が成り立たないことに悩む場合は、私は『学び合い』を選択するべきではないと思います。結局、子どもたちに任せるという形だけでの導入になってしまいます。これはそもそも『学び合い』ではない。それならばまずは他のノウハウ本から学び、一定の授業を成立させられるようになることが先決だと思います。

 

 

ただ、だんだんと、

「ある程度の授業は成立していて、子どもたちもそこそこ理解はできているようだけれど、なかなかそこから先に進まない」というような「なかなか授業が上手くいかない」という悩みも生じてきます。

 

従来のやり方の限界を感じ、「生物の生存戦略に基づく、学習の在り方」という極めてシンプルな理論に立ち返る。

こうした時には『学び合い』は良いと思います。

 

 

 

理論を分かってしまえば行動できる人なら問題ないでしょうが、これまでの学校観や子ども観、授業観からシフトする(本当はシンプルに戻っているだけなのだけれど)ことが大変な人もいると思います。

 

ということは同じように感じる同僚や管理職もいるということです。従来の考え方で教育を受けている保護者や目の前の子どもの中にもいます。

この、考え方がシフトすることに大変さを感じる人がいることを自覚し、そこから生じる問題に向き合い、解消していく方向に導くだけの覚悟がなければ『学び合い』はできません。『学び合い』をしようとしている張本人が『学び合い』ではない、という矛盾を引き起こしてしまいます。もちろん一人ですべてをやる必要はなくて、理解してもらえるところから少しずつ取り組むので良いと思います。これも『学び合い』です。

 

 

ということは『学び合い』の理論で動く人にしか『学び合い』はできない、と言えるのでは。

 

 

 

西川先生は、土日も研究室にいます。

基本的に、休日という休日はないと思います。

 

それは「生物の生存戦略に基づく」、『学び合い』の姿、生き方を自分で自分に課しているからなのではないかと思います。

そうでなければ、あんなに多くのゼミ生を受け入れようとは思わないでしょう。

 

 

 

これはもう、

 

自身の考案した農法を独自のものとせず、多くの人に広めてみんなを富ませようとした、群馬の誇る船津伝次平や、 

www.futaba1107.com

 

 

時代の転換期に活躍する多くの人材を生み出した、松下村塾を開いた吉田松陰

www.futaba1107.com

 

 

彼らに匹敵する次元だと思います。

 

 

 

私を滅し、公に生きる。

そうでなければ『学び合い』はできない。

 

というのはさすがに言いすぎでしょうが、でもそれくらいの覚悟がなければ本当の『学び合い』はできないのではないかと思います。

 

こうして自分のやれることをやり続けた先に、研究室の目標にもあるような「日本を変える」ことに繋がっていくのでしょう。

 

 

授業や学級をより良くする次元での『学び合い』

それは『学び合い』の入門編ではなく、そもそも『学び合い』に及んでいないのではないかと思います。

 

 

 

 

最初に「『学び合い』歴7年目に入りました」とか言いましたが、実際はまだ『学び合い』のスタートラインにさえ立てていないかも…

 

 

 

 

 

覚悟してやることをやるだけ。

 

簡単だけれど、とっっっっっっっても難しい。

 

 

おもしろおかしくやるんべぇ♪