緩和ケアの話。意外な意外なつながり。

 

以前、まごころ塾に参加した際、

緩和ケア医の萬田先生のお話を聞きました。

 

www.futaba1107.com

 

 

その話が、以前読んだこの本の内容にも似ていました。

 

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そこで今回、

萬田先生の本を読んでみました。 

 

穏やかな死に医療はいらない (朝日新書)

穏やかな死に医療はいらない (朝日新書)

 

 

 

当たり前だけれど、「食べる」っていう行為はとても大切なんだと思いました。

自分で食べ物を手に取って口に運び、咀嚼する。飲み込む。

それだけでも結構な動作が必要です。

 

 

点滴や胃ろう。

寝たまま、全く動かなくてもできます。

 

でも、動くことがほとんどなくなってしまうので筋肉が衰え、どんどん動けなくなってしまい、遂には寝たきり。点滴や胃ろうが外せなくなってしまう。

 

動かないので体がどんどん衰えていき、過剰な水分を排出することもできなくなっていくのでしょう。

入院している方の体がパンパンに膨れ上がってしまうというのは、こうしたことが繋がっているのだと、初めて知りました。

 

動物である以上、やっぱ動いてなんぼなんですね。

 

 

 

 

少しずつ動けなくなっていき、

徐々に徐々に、枯れていきながら死んでいく。

これが苦痛が少なく、自然に近い死に方なのだそうです。

 

 

 

 

ん?

 

どこかで聞いた話に似ているような…

 

 

 

 

今ある多くの野菜は、

放置しておくとぐじゅぐじゅになって組織が崩壊したりカビが生えたりするそうです。

 

なぜかというと肥料をいっぱい与えているから。

 

 

自然栽培に近い形で育てた野菜は、放置しておくと水分が抜けてしぼんでいくそうです。

 

 

 

人体も野菜も同じだ。

 

 

 

良かれ良かれと思っても、必要以上のものを与えてしまうのは結果的に良くないのでしょうね。

 

 

 

ハングリーなくらいがちょうどいい。

それでこそ、吸収しようという意欲につながるのでは。

医療や野菜に限らず、何事においても…

 

 

 

 

 

 

どんな人生を歩むか。

 

今は選択肢がたくさんあります。

 

しかし選択肢が多すぎて、逆に生き方の迷子になっているような気がします。

 

 

 

そうするとどうしても、他人のことが気になります。

 

 

他人を自分の写し鏡だと思って、自分をより良くするために生かすのなら良いのだけれど、

 

 

 

多くは自分と他人を比較して、

 

 

自分を卑下したり、

 

自分が優位に立つために他人を蹴落としたり、

 

必要以上に実力以上に自分を飾ったり…

 

 

 

人間関係で上手くいかないのも、

心病んでしまうのも、

こうしたことが関係しているように思います。

 

 

自分の軸をもって生きていれば、そう迷子にはならないのでしょうが、

なかなか軸をもつのも大変です。

 

 

そこで発想の転換

 

どう生きるかではなく、どう死にたいかを考えれば、大切にしたい価値観や今後の生き方がおのずと見えてくるのではないか、というのが最近の私の考えでした。

 

 

 

 

ちょうどそんな時、緩和ケアや萬田先生のことを知ります。

 

 

タイミングが良すぎる(^^)

 

与えられるべくして、きっかけが与えられているようにしか思えません。

 

 

思い通りにいくとは限らないけれど、自分なりの死生観をもつことって大切なんじゃないかと思います。

また緩和ケアという選択肢があるということを知っているだけでも違うような気がします。

 

 

 

とりあえず、「死」をテーマに考えるのは、ここで一区切りかな。

 

 

 

おもしろおかしくやるんべぇ♪