「プペル展inぐんま」が終わって思うこと

 

かつて、「幸せ」とは何かを考えて、こんな記事を書いていたようです、私。

 

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その中で3つの「幸せ」についてまとめました。

 

それは、

・やってもらう幸せ

・自分でできる幸せ

・人に施す幸せ

 

です。

後者になるほど、より上位の「幸せ」だと考えていました。

 

 

 

しかし、今回のプペル展を通して少し考え方が変わりました。

 

 

 

 

目標の1万人には届きませんでしたが、それでも16日間で8000人を超える来場者。

展示物自体はプロの作品ですが、イベントの運営はほぼ素人のボランティアです。

そうしたイベントにこれだけの人が集まったというのは衝撃的です。

 

 

西野さんはどこかの本で、

「イベントのお土産として絵本が売れる」

的なことを言っていました。

 

今回のイベントを通し、その様子を目の当たりにしました。

 

えんとつ町のプペル」の絵本なんて、書店で探せば見つかるはずです。

でも書店ではなく、ネットでもなく、イベントの会場で買うというのは、

そこでの体験や思い出に価値を置いているからなんですね。

 

買ってもらった子どもも、買ってあげたお父さんお母さん、おじいちゃんおばあちゃんも満足そうでした。

帰って絵本を読んだときに、「プペル展」に行った日のことも思い起こされるのでしょう。

 

ボランティアスタッフとしてこういう場面を見ることができ、とても幸せです。

 

 

本の販売などお金に関わる部分に関してはちょっとごめんなさいをして、駐車場の係をしていたのですが、帰りがけのお客さんの中に、

「良かったよ。ありがとう。」

「暑い中大変でしょう。」

と声をかけてくださる方もいました。それもまた幸せなことです。

 

 

 でも一番は、「なぜ推すのか」をまとめた記事にも書いた通り、

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共に創り上げた(と勝手に思っている)仲間の存在ですね。

 

主催者の千恵さんをはじめ、各地からボランティアが集まりました。

みんな職業は全然違います。

大工さんは見事なパネルを作り上げるし、普段お金に関わっている人はめっちゃ数えるの速いし。

それぞれの良さが随所で生かされていたように思います。

 

 

その時ふと、最初に書いたことを思い出しました。

 

 

私は、私にできる駐車場の係をしただけ。

それでお客さんに「ありがとう」と言ってもらえる。

そして自分にできないことは、仲間がやってくれている。

 

 

つまり、3つの「幸せ」を同時にすべて満たしていたんです。

 

どれが上位か、という話ではなくて、

この3つに当てはまるような「幸せ」にどれだけ気づくことができたか、なんです。

 

人に何かをやってもらって当たり前だと思っているときには、「幸せ」の分類が「やってもらう幸せ」しかありません。だから「幸せ」だと感じる機会はあまり多くありません。

そもそも、やってもらって当たり前だと思っている時点で、「ありがたい」ことに気づかず、「幸せ」を感じることもないかもしれませんが。

 

 

こうやってイベントを開催する側、何かを提供する側になると、今まで当たり前だと思っていたことが当たり前ではなく、ありがたいことだということに気づきやすくなります。結果として「幸せ」を感じる機会が増えていきます。

 

もちろん大変なこともあります。でもそれがあるからこそ、強く「幸せ」を感じられます。それを共有できる仲間もいます。みんなで激辛の何かを食べて、ヒーヒー言いながらも楽しく盛り上がっている、そんな感じですかね。

 

 

 

西野さん関連をはじめ、今、自分で参加費を払って、イベントのスタッフの権利を買うなんてのが増えています。スタッフをやるのに賃金が支払われるどころかマイナスです。でも喜んでやっているんです。

 

それは、モノやサービスを与えてもらう、受けることよりも、与えることによって発生する幸福感にハマってしまって、そこに価値を見出しているからだと思います。働くというより、趣味の一環、遊んでいる感覚です。協働することにより人脈も広がりますし、繋がりも深くなります。イベントをやる側の方が得るものが多すぎるし大きすぎる。

 

 

 

以前は、「行事より授業で勝負」と思っていました。

でもやっぱり人は行事やイベントを求めているんですよね。

 

これだけの来場者数がそれを示しています。

今後もイベント産業やレジャー産業は伸びていくことでしょう。

 

では今の子どもたちは、苦労を買ってでもし、それ以上に自分たちがワクワクするようなイベントを開催して、人を喜ばせることができるでしょうか。そういうことをしようと思うでしょうか。

 

 

昔は、本来おもちゃではない木の枝や石などの自然物を、自分でおもちゃにして遊んでいたはずです。しかし今は、おもちゃで遊んでいるようで、誰かが作ったおもちゃに「遊ばされて」いるだけのように見えます。しかしその状況を子どもたちは「遊んでいる」と思っているのだとしたら…

「楽しい時を作る」のは、「バ〇ダイ」ではなく子どもであってほしいものです。

 

こうした遊び方で育っている子どもたち。

業務改善の影響を受けて、どんどん行事が削られてしまったら、楽しみや喜びを創り上げる体験をどこでするのでしょう。

もちろん過去のものを踏襲しただけの、何のためにやっているのか分からないような行事なら見直すべきです。しかし全く無しにしてしまうのも考えものです。

 

慣れていないのだから、上手くいかないのは当たり前。でもやらなきゃ上手くはなりません。

授業を蔑ろにするわけでもなく、授業を通して培った力を、行事に生かして発揮する。

そうやって自らの心に響き、相手の心にも響くような体験を通した学び、遊びを学校でしていきたいと思うのでありました。

 

 

本当にAIやロボットに今ある仕事の多くがとって変わられるとしたら、仕事をしたくてもできなくなります。

なら遊ぶしかありません。

本気で遊べる人が価値を持つようになってくるのかなー

学校で遊び方を教わるようになるときも来るのだろうか笑

 

 

おもしろおかしくやるんべぇ♪