おもしろおかしくやるんべぇ~ゆとり世代も悪かねぇ~

THEゆとり世代。さとり世代とも言われる世代「ふたば」の見方や考え方、そして日々の学びをまとめたブログ。

2018年の振り返りと2019年に向けて

 

2018年。

激動の1年でした。

 

根本に戻ると、やはり『学び合い』。

抜群の成果を出せているというわけではありませんでした。

書籍に関わるわけでもなければ、会を運営しているわけでもありません。

 

 

そんな私の『学び合い』を磨くために必要なことは何かを考えました。

 

そして、気づきます。

そもそもの「経験」が不足していることに。

 

様々な人生経験を積んだ人の言葉には深みや重みがあります。何を言うかではなく、誰が言うか。全く同じ言葉であっても、その話し手によって質が全く違います。

『学び合い』実践においても、すごいなぁと思う実践者はみなさん、もともと『学び合い』をしていたわけではなく、研鑽の末に『学び合い』にたどり着いた、という方々でした。

まぁ『学び合い』の原点は、「良い先生」に「良い先生」を紹介してもらい、遂にたどり着いた先生の姿ですから。新たなものを取り入れ取り入れ、次第に削いで削いで、辿り着くのは、みな、「そこ」なのかもしれません。

 

とはいえ大学を出てすぐの初任者が、そうした方々と同じことができるわけがありません。それまでの人生で壮絶な経験をしてきて、言葉に重みや深みがあれば別かもしれませんが、私はそうした言葉を持っていませんでした。

 

 

まずは経験を積むことが最優先だと思いました。しかし人よりも早く、より多くの経験を積むことは、精神と時の部屋でもなければできません。

なので経験を積んでいる過程を見せ、私自身が『学び合い』の姿を体現することにより、姿で子どもたちに伝えようと思いました。

 

そして、

 

・自分から多様な人と繋がるべく行動すること。

・学びをブログで発信すること。

 

この2つを始めました。

それから私の人生が大きく変わっていきます。

 

 

 

 

 事あるごとに立ち返るのが、『学び合い』西川研究室の目標です。

 

「自分の心に響き、多くの人の心に響く教育研究を通して、自らを高め、一人も見捨てない教育・社会を実現する」

 そして「一人も見捨てない教育・社会を実現する」ということは、すなわち「日本を変える」ということです。

 

「日本を変える」というと革命的なヤバそうな感じがしますが、別にそういうわけではありません。日々自分にできることをやり続ける、ただそれだけです。

 

 

でも、引っかかることがありました。

「なにが日本を変えることにつながるんだ?」

「そもそも日本って?」

 

ということで、頭空っぽな私は、「日本」について勉強を始めました。(今思うと、「なぜその思考になった?」という感じです笑)

 

そうすると、今まで知らなかったことがたくさん。同じ出来事に対しても、捉え方が正反対であったりと、何を信じたらよいのか分からなくなりました。

どっちが正しいかを議論するのもいいですが、でももっと大切なのは、そういう情報を得た後に、自分がどう判断しどう行動するかだと思います。

例えば聖徳太子がいたとかいないとか説が色々ありますが、それが大切なのではありません。数々のお札に肖像画が描かれ、すでに私たちの心の中には聖徳太子がいるのですから、彼の生きざまから何を学び、どう生かすか。この方がよほど建設的だと思います。

 

 

また「2040年問題」についても考えました。

高齢者の割合が過去最高。

今ある地方自治体の半数が存続の危機。

ここを機に、一気に人口減少。日本の総人口が1億人を下回るとの予測も。

 

先を考えると正直、悲しさ虚しさに襲われます。そんな時期もありました。

でも今は違います。何か策を打つのに、今この瞬間が大切なのですから。

 

起こりうる状況として想定しておくことは大切です。でもまだ起きてもいない未来を不安にして生きていたら、何のために生きているのか分からなくなります。考えれば考えるほど絶望していきます。今、生きることに希望を見出せない人が増えているのも、こういうことが関係しているのではないでしょうか。最後の最後まで抗って生きてみましょうよ(^^)

 

他者に対する怒りや不安の感情では人の心は動きません。それは自分の心にも響かなければ、他者の心にも響きません。研究室の目標に反していることに、対話を通して気づかされました。だから必要以上に不安感を煽ることを私はしないと決めました。それすらも前向きに捉え、より良い策を探します。

子どもたちはそういう教師の姿勢を見ています。姿で示すという私の目標との矛盾。子どもたちからの信頼は得られなくなります。そんな私は教師として子どもたちの前に立つ資格はありません。

 

 

少し話は変わって、古事記の話。

太陽の神様アマテラスオオミカミが悲しみに暮れ、天岩戸に隠れるという大事件がありました。

太陽が隠れてしまい、地上は大混乱。

それを解決すべく、神々が集まって会議をしました。

でもなかなか上手くいきません。

 

そこで富士山に祭られている芸能の神様アメノウズメノミコトが、服もはだけるくらい踊ってみせます。それを見た周りの神々は大笑い。

何やら楽しそうな外の様子に、アマテラスオオミカミは岩戸から少し顔を出します。その隙に引っ張り出されて、めでたしめでたし。

 

これもまた事実かどうかは分かりません。しかし昔から日本人の心に刻まれ続けてきた話です。

 

火山の噴火、地震津波、台風。数々の自然災害に見舞われながら、でもその恩恵を受けられることに感謝しながら、日々生きてきたのがこの国に住む人たちです。それは紀元前から続いています。

辛いことがあっても笑い飛ばし、前向きに頑張ってきた先人たちの意志を受け継ぎ、一人ひとりが目の前の自分のやるべきことをやるなかで、少しずつ日本は変わっていくのだと思います。

たまたま私はそのテーマが「教育」に関することだった。それだけのことです(^^)

 

 

 

 

アウトプットを続けることは大変です。自分の中に何かがなければ出すことはできません。なのでアウトプット以上にインプットをしました。

これまでにないペースで本を読みました。

そしてまた、本を読むだけでなく、その本の著者と実際に会って話したり飲んだりするという貴重な経験もできました。

 

どの本にも書いた人の願いが込められています。

その本を通して何を伝えようとしたのか。本から読み取れることもあるし、実際に話してみないと分からないこともあります。本の著者も同じ人間。当たり前のことですが、忘れがち。相手にも都合があるのでできるかは分かりませんが、好きな著者がいるなら繋がってみるのもいいと思いました。

 

できるかできないかではなく、やるかやらないか。

やらねばそこには成功も失敗もない。

 

 

 

 

こうやってたくさん行動するなかで、「健康」について考えるようになりました。

体は資本。健康な体があってこそ、行動することができます。

 

そして「食」や「運動」について考えるようになりました。

生物的な観点から「ヒト」を見つめました。

もっと深く、生命の本質を探っていきました。

そうしたら宇宙にまで繋がってしまいました笑

 

ビッグバンが宇宙の始まりだとするならば、この世に存在するすべてのものは、その欠片。

人体もその欠片の集合体。小宇宙。「君はコスモを感じたことはあるか」

 

健康的な生活ということは、宇宙の摂理に沿って生きること。

とはいえ野生の生物のように本能だけでは生きていきません。知性を身につけて生き延びてきたのが人間ですから。

 

動いてこそ動物。便利になり動かなくても済むようになりましたが、それは本当に良いことなのでしょうか。

野生の動物に運動不足はありません。なるのは人間と人間に飼いならされた動物だけ。

 

なので野生の動物を少し見習うことにしました。柔軟性を高め、緩めるようにし、アウターマッスルではなく、インナーマッスルを優位にする。背骨を使って歩く。

 

これもすべては健康な体を維持するため。

動かないことが生命終了のスイッチだったら怖いので。

 

 

そして「食」

 

昔の人は玄米とみそ汁、漬物で、今とは比べものにならないほど働いていました。

地産地消。日本人にとっては、日本で採れたものを感謝していただくこと。それが体に合った食なのかもしれません。

 

江戸時代は平均寿命が短かった。

でもそれは乳幼児の死亡率が高かったからです。

伊能忠敬のように、高齢になってから学問を志し日本全国を歩き回った人もいます。

 

活動的にぱっと生ききるか、パフォーマンスを落として生きながらえるか。

簡単に選択できることではないけれど、私は前者を選ぼうかな。

 

 

 

 

そしてこれらはすべて、今年出逢った人から教えてもらいました。

 

「タテゴシ体操」や「武学」というものに出逢い、その勉強会に参加しました。

その講師やその会でつながった人から、「体」に関していろいろと話を聞くことができました。

 

「自然農法」というものに出逢い、実際にその場を見に行きました。

その実践者やその縁でつながった人から、「食」だけでなくいろいろな話を聞くことができました。

 

そして「マヤ暦」や「情報推命学」というものにも出逢いました。

自分の進む方向性を見つけるきっかけを与えてもらいました。

 

こうした縁が新たな縁を生み、1年が1年と考えられないくらい長く、多くの経験をすることができました。

 

あれ?精神と時の部屋に入ってたのかな。

 

 

他にも、自分から新たな環境に身を置くこともしました。

身近なところで同年代の人が活動している場があることも知りました。

その縁もまた新たな縁を生み、、、と思えば、どこかで共通の知り合いに行きついたり。

世界は広いようで狭い。まったくおもしろすぎます(^^)

 

もちろん変な勧誘にもたくさん遭いました笑

でも、それを見抜く力が研ぎ澄まされたように思います。

 

 

こうやって新たな人と出逢い、その人に誘われて新たな環境に身を置き、

そこでまた出逢った人と新たな縁が生まれ、、、

これが私の2018年でした。

 

 

 

 

 

 

 

な、長い…

 

ここからようやく2019年に向けて、です。

 

 

 

2018年、いろんな出逢いの中で、やりたいことがいっぱい出てきました。

自分の食を自分で賄えるようにしたいし、コミュニティスペースも作りたいし、人生の指針を見出すようなお手伝いもしたいし、何より教員としてもっと磨きをかけたい。

でもそれらを全て実現するための費用と時間がどうしても足りません。

 

ならばそれをしようとする仲間を持つしかありません。

農業をやろうとしている人や興味のある人と、私の知っている農家さんを繋げたり、

コミュニティスペースを作りたい人と、既に運営している人を繋げたり、

とにかく繋げ役ですね。

身の回りの人が食やスペースを提供してくれるなんて最高です。めちゃくちゃ応援します。そこにありがとうの輪も生まれます。こうやって自分たちでコミュニティを形成していけたら、最高です。

 

世の中には本を出したりメディアに取り上げられたりして、認知された凄い人がいます。私もそれに影響されることが多くありました。

でも凄い人はそうした人だけではありません。

 

認知されていないだけで、実はもの凄い人が、意外とすぐ近くにいたりします。

最新の何とか理論みたいなものを、意識せず当然のように昔からやり続けていた、なんて人がゴロゴロいます。

 

それに既に認知された凄い人に対しては尊敬してしまうので、フラットな関係を作りにくいところが私にはあります。そしてその凄い人たちもそんな虎の威を借りるような関係は望んでいません。

 

認知されていないけど実はもの凄い隣人を発掘するのって、面白そうだなと思います。良いものをもっているのだけれど、今一つ生かし切れていない人。こういう人をサポートして凄い人にしちゃうのも面白そうです。

 

教員という性分、自分が認知されるよりも、こうやって発掘した人が認知されていったりすることの方がワクワクするし、好きなんだろうな。トレジャーハンター的な。

 

こういう人たちとのつながりを持っていることは、キャリア教育にもつながると思います。

今ある仕事がどれだけ将来残っているかは分かりませんが、その人の生き様や働くことに対する価値観などはきっとどの職業にも応用できると思います。

例えば今、警察官になりたいという子がいたら、「こういう警察官がいるよ」と紹介できるような、そんな引き出しをもてたら最高です。

ゲストティーチャーとして授業で話してもらうのもいいかもしれません。

 

あとは退職した方々。実は現役時代はバリバリ貿易商として活躍してました。今でも海外旅行行ってます、なんて人がいます。

そうした方が空いた時間に英語の指導の補助をしてくれたら、最高です。

地域の眠った人材。絶対あります。

 

また誰かがつくってくれたコミュニティスペースで、こうした身近な凄い人を講師にして、語り合う場なんかもできたらいいなぁ。地域の人もふらっと参加。そしてみんなでよりよい社会について語り合う。平日の夜にご飯食べたり飲んだりしながら。最高じゃん。

教え子たちが将来社会に出てから講師として立ってくれたら、もう最高だね。

 

 

こういう取り組みをしてくれる人ももっと必要。一人じゃ絶対無理。

こうした人が一人、場が一つ、各郡市にほしいなぁ「ここにこういう人がいるよ」と情報共有したり、互いのコミュニティを視察したり。こういうコミュニティが郡市にいくつかずつでもできてくれば、確実に県は変わるね。

そしてこうやって発信し続けていれば、興味をもって他の都道府県で取り組む人も増えるかも。今やっているけど心折れそうな人の支えにもなるかも。

県が変われば確実に日本に影響を与えるね。変わるよ、これは、絶対。

 

 

世のため人のために、よりよい物やサービスを提供したり、こうやっていろんな人がつながって語り合う場を提供したりしようとしている人がたくさんいることをこの1年で知りました。

これまでの構想は全くの無根拠ではありません。既に実際にやっている人がいます。

だから私のすることは、それらを繋げたり、発掘したりすることかなぁ。

 

 

2019年は地元密着。

私は群馬を駆け回るので、他の都道府県はどなたかお願いします。

一緒に群馬の魅力を開拓する仲間も募集です。

 

でも大それたことはしません。

ちょっと朝早く起きて駅前のごみ拾いをしながら、すれ違う人とおしゃべりしたり、

入ったことのないお店に入ってみて、おしゃべりしたり、

ちょっと集まっておしゃべりしたりするだけ。

 

それだけ(^^)

 

 

拡大解釈かもしれないし、ずれているかもしれませんが、

私にとってはこれもまだ『学び合い』の範疇だと思っています!

 

 

 

 

最後に、

最近読んだ本で、凄く心に残った言葉がありました。

こんなようなことです。

 

 

赤ちゃんや花は、人々を感動させようなんてしていません。

だから無理に誰かを喜ばせたり助けたりする必要もありません。

自分がやるべきことにやっていれば、それが周囲に感動を与えるんです。

 

 

 

みんなに平等に無償で光と熱を与えてくれるお天道様。

そんな生き方をしていきたいものです(^^)

 

 

おもしろおかしくやるんべぇ♪

 

 

今週のお題「2019年の抱負」