最近、なぜ勉強するのかということについての考えが少し変わりました。
自分の備忘録としてもまとめておきたいと思います。
以前から勉強するのは
幸せになるため、幸せであることに気づくため、と考えていました。
幸せにはいろいろとありますが、、、
生まれた時には人は未熟です。
誰かに手助けしてもらわねば生きていくことができません。
まず最初の幸せは「やってもらえる幸せ」です。
そして成長するにつれて、「自分でできることの幸せ」を感じます。
やってもらってばかりで逆に意欲を失っていく子は、この幸せを奪われてしまったからなのではないかと思います。
そして私が最も幸せを感じるのが「何かをしてあげる幸せ」
人として生まれたからには、何か人の役に立ったり喜んでもらえたりすることをしたいものです。そのためであれば多少の無理もできます。
なので「他者に貢献する力を高めるために勉強をする」というのがこれまでの考えでした。
しかし、日々勉強していることが本当に誰かの為に役に立つのだろうか、
そうした疑問も常に感じていました。
そしてここからが、最近考えが広がった部分です。
そのきっかけが量子論について知ったこと。勉強していくにつれて、これまでスピリチュアルの範疇であったことが科学の領域としても捉えられるようになってきました。
そしてゲームの世界のように、この世の中自体も「自分が見たいように見ている仮想現実ではないか」という説が理解できるようになりました。
スピリチュアルの分野だけだったら、「何あいつ、ヤバそうだな。変な宗教にでも洗脳されたのか。」って話ですが、科学の分野の話です。「本当にそうなのか?」と疑いながらも、「でもそれもあるかもしれないな」と捉えるようになっていきました。
ネット上に膨大なデータが眠っているように、
天?宇宙?ゼロポイントフィールド?サムシンググレート?その辺はよく分かりませんが、この世が始まってからのビッグデータはどこかにクラウドとして保存されているのではないかと思います。
脳内にあるデータは、自分が生まれてから経験したことと、本を読んだり人と話したりして得た情報しかありません。頭で考えるということはそれらの情報で答えを出そうということ。
自分の経験なんてたかが数十年です。過去の偉人の情報を借りても数百年か数千年。
でも宇宙創成からはもっと遥かに長い月日が経っています。そちらに眠っている情報の方が遥かに量も多いだろうし、本質に近いのではないでしょうか。
ならばその超ビッグデータに繋がればいいんです。
そうして下りてくるものが「直観」。ひらめきってやつです。
モーツァルトは、頭に浮かんだ旋律を楽譜に起こしただけ、なんて言ってます。直観が下りてきていたのかもしれません。
しかし、「直観」ではなく「直感」。感じただけの、単なる思い込みもあります。
その区別を付けられるようにしなくてはいけません。
ネットの情報が真実なのかどうなのかを見極めるためには、それを判断するための知識や思考が必要です。
同じように、「直観」として下りてきているものなのか、単なる勘違いなのかを判断するためには、さまざまな情報を得たり思考力を鍛えたりする「勉強」が必要なのだと思います。
勉強して得た知識が後で無駄だったと思うかもしれません。
でも、勉強したからこそ、「その人にとってはその情報は不要な情報だった」ということに気づけるのではないかと思います。それに気づくためには、やはり勉強するしかありません。
また、一度勉強をしておくと、その分野についてのおおまかな土台が記憶として残ります。新たな情報を得た時には、その土台を基に再度知識を構成し直すことができます。ゼロベースではないので、得るスピードも速くなります。
このような勉強、そして自分なりの使命を見出して行動していくことを通して、自分自身の振動数?波動?も高まっていくのではないかと思います。
テレビやラジオでチャンネルを合わせるのと同じように、超ビッグデータから得たいものを得られるよう自分の振動数を高めたり調節したりしてしまえば、あとは勝手に情報が入ってくる。そうなると今度はそれまでに得た情報の精査をしなくてはなりません。パソコンやスマホにたくさんのデータをため込んでおくと動作が遅くなるので、そうならないようにするのと同じ感じです。これが禊や悟り、ゼロ化ってやつなのかなと思います。
考えに考えて、解を見出そうとして自爆していきがちな私。
直観を得ることが、そこから抜け出す道のように感じます。
そのためには志高く日々行動すること。あらゆる事象から今後も勉強し続けること。
そしてだんだんと情報を精選していくことも大切なのかなと思います。
その先に、世のため人のために尽くして幸福感を得られたらいいなと思います(^^)
おもしろおかしくやるんべぇ♪