「有難さ」についての話。

 

最近、いろいろな本を読んだりいろいろな人と出会ってあれこれ話をしたりしました。

 

その中で、

「この人はすごいわぁ」

そう思った人が何人もいました。

 

 

今日、ふと彼らの共通点に気付きました。

 

 

それは…

 

 

 

 

 

 

 

全員死を覚悟しているということです。

 

もしくは、そういう強烈な体験を過去にしているということです。

 

 

 

 

私はそういう経験をしていません。

 

「なんのために生きているんだろう」

そう漠然と考えた時期はありました。

 

しかし、自ら命を絶とうと考えたようなことはありません。

 

そんな私には、彼らの直面した状況について、真に理解することはできないかもしれません。

望みたくはないですが、そういう状況を経験してこそ、人格の完成に大きく近づくのではないかと思います。

 

 

 

しかし彼らの経験したことから学べることは大いにあります。

 

 

それは、命は有限であるということです。

 

当たり前と言えば当たり前のことですが、現代に生きているとどうしても忘れてしまいがちです。

 

 

不慮の事故に遭ってしまう、重大な病気が見つかり生活が一変する。

誰もがそういう状況になってしまう可能性をもっています。

 

それをちょっとでも心の片隅に置いておくことで、日々の生き方が変わります。

 

 

いつもと変わらぬ朝をまた迎えられたことに

「おはよう」

と自然と言葉になるし、

 

 

きれいな景色を見れば、

「あぁ、こんなきれいな景色が見られて幸せだなぁ」

って思えるし、

 

やってもらったりすることがあれば、どれも

「ありがとう」

 

迷惑をかけてしまったら

「ごめんね」

 

 

あとで言おうと思っても、そのあとでは来ないかもしれない。

そう思えば「今」伝えようと少しでも思ったことなら、「今」伝えておいたほうがいい。

 

後で伝えられずに後悔するよりは、よっぽどいいと思う。

 

また今度(明日)も会えますようにという気持ちを込めての

「さようなら」や「おやすみ」

 

 

 

こうやって命に限りがあることを意識して、

自分が、そして相手が生きていてこうして繋がれることを意識したら、

 

その時自然と「挨拶」が起こる。

 

「挨拶」をできることだけで、ありがたいと思えるから、

相手から返ってこようとそうでなくとも、どちらでもいいと思える。

自分がしたいからしている、それだけで満足できる。

 

まぁ、みんながそう思えれば、結果としてあいさつや繋がりが増えていくんだろうけど。

 

 

 

 

自他の命の有限性を意識すれば、

どんなことも有難く思える。

 

新たな人との出会いと同時に、

時には別れを経験することでそう思えるようになっていくのかもしれない。

 

 

 

俺はこうやって挨拶や気持ちを表現することの大切さを実感したけれど、

この話を子どもが理解するのは、ちょっと難しいかもしれないなぁ。