おもしろおかしくやるんべぇ~ゆとり世代も悪かねぇ~

幸せ Society 5.0 『学び合い』教育2.0 革命と信用

あと少しで夏休み

 

夏休みまであと3日。

今年は特に「お楽しみ会やりたい!」とかっていう声もないので、ただひたすら、日々やることをやる毎日。

 

プールのような時間の決まっているものは決まっているものとして、

あとの時間はその日復習しておきたいものをまとめたプリントを解く。

でも、いつやってもどれをやってもいい、宿題としてやってもいいよという感じ。

家では自信ないって子は学校でやる。家でもできるって子は、学校では誰かの学習を支えることを優先するなんてのもあり。

 

最低限押さえておかねばならない内容は押さえた。

もっと発展的な問題に取り組んでもいいのかもしれないけれど、今それぞれがやりたいようにやっているから、変に手を出さなくていいかな。その様子を見ておいて、トップがだれそうなら与える。

 

むしろこれまで自分で考えて学習するという習慣がなかったのだから、

こうやって自分で考えてやっている時間こそ貴重な時間。ここで与えてしまったら、また受動的な姿勢に戻ってしまうような気がしてしまう…

 

 

プリントを解き終わったらあとはフリー。

心配な漢字をひたすら練習する子もいるし、過去に解いた問題をもう一度解く子もいるし、学習したことをまとめたパンフレットを作成する子もいるし、じっくり本を読む子もいるし、絵を描いている子もいる。

最初は「別に学校でやらなくても家でもできるじゃん…」と思っていた。

しかし、学校で、友だちがいる場でやるからこそ、学習に力が入る子がいる。

家では習い事など忙しくて好きなことができない。そんな子にとっては本を読んだり絵を描いたりできる貴重な時間。

何度も言うけれど押さえるべきことは押さえているんだから、別に問題はないはず(^^)

 

それに描いた絵を見ると、どんどん上達している。いつの間にかコマ割りをして漫画風になっている。こうして高めた力が、いつかどこかで発揮されるかもしれないなぁ。

 

読んでいる本もどんどん文字が多いものになっている。聞いてみると、絵が多い本は読み飽きてしまったようで、文字が多いほうが自分で想像して読めて楽しい、と。

なるほど。小学生の私なら、絶対に浮かぶことのない考えだな。

 

 

 

そうやって一人ひとりの様子を見ていると、

なぜ今までお楽しみ会にこだわっていたのかと思うようになる。

 

もちろんそうしたイベントに準備を重ねて取り組み、クラスのまとまりが強くなったケースがある。でもその中には、もしかしたらゆっくり本を読んだり絵を描いたりしたかった子もいたかもしれない。

逆に今、お楽しみ会的なイベントでぱっと盛り上がった方が良かったって子もいるかもしれない。

これらは同時に満たすことはできない。

 

大事なのはそれらを通してどういう集団になっていきたいのか、一人ひとりがどういう力を高めたいのかっていうこと。

イベントの開催に向けて、準備や練習のための時間を確保するために、日々の学習に身が入る子がいるかもしれないし、

案外いつも通り学習に取り組んだり本を読んだり絵を描いたりする中で、コミュニケーション力を高めているかもしれない。

 

どのような道でも、目指したいゴールに迎えていればオッケー。

一人ひとりが自分のココロオドル方へ迎えていればオッケー。

「ああ、やっぱりお楽しみ会やりたかったー」って後悔があれば、2学期以降に生かせばオッケー。

 

 

夏休みが待ち遠しい反面、こうした姿が一時中断してしまうさみしさもあり。