最初の語り。それにかかわる諸々の話。

今日はどんなクラスにしていきたいtか、教師の所信を表明する時間がありました。

黄金の3日間と呼ばれる期間の初日はバタバタと終わってしまい、今日は2日目の大事な日でした。

 

 

私はいつも「どうして学校に来るのか」という話から入っています。

大体いつも「勉強をするため」となり、じゃあ「どんな勉強をしているのか」と

掘り下げると「国語!算数!」なんてなるのが定番でした。

 

しかし今年は違いました。大半が「大人になるため!」「そのための勉強!」でした。言いたいことを先取りされて驚きました。

 

そのあとは「大人には誰でもなれるんだよ」なんて話をし、「見た目は大人だけど、頭は今のままだったらどう?コナンの逆!」と言ったら、「えー、やだー」というありがたいくらいのリアクション。

「ただ大人になるんじゃなくて、立派な大人を目指そう!!」と言ったら、大半にわかってもらえたようでした。

 

 

その後は具体的な話に入ります。まずは「チャレンジ」について。

すぐに「無理」「できない」。そうやって心が折れてしまいがちです。挑戦してもうまくいかない。そこから自己否定に陥ってしまう。だから初めから挑戦することを避ける。そんな風潮が最近多いように感じます。

そんな時には「立てるようになったこと」「歩けるようになったこと」の話をして、あきらめずに何度も挑戦した頑張ったんだよという話をしました。またあなたが頑張ることによって他の誰かの心に火をつけて、みんなで頑張れるようになるよ、という話。そして何よりも、なかなかうまくいかなくても「私(担任)は見ていて応援しているからね」というメッセージを送りました。

 

次は「自分のことは自分で」という話。

まぁ自分のことは自分でする、というのはもう何度も何度も聞かされてきているので、それを踏まえて「じゃあうまくいかないときはどうする?」という話をしました。

そうすると「大人に助けてもらう!」という返答が。困ったときは先生が助けてあげるよという話をし、「助けてもらえるのは大人だけかな?」と問うと、「友達!」という言葉が返ってきました。

「先生でもいいし友達でもいいよね」と確認し、そうやって誰かの力を自分の力に変えられることも素晴らしいことなんだよ。また誰かのために力を役立てられることももっともっと素晴らしいことなんだよ、と確認し合いました。

 

最後に「優しい心で」という話をしました。

「教えてくれるのはいいけど『なんでわかんないんだよー』『こうやるンに決まってるじゃん』とかっていう言い方だったらどう?」と聞くと、「それなら教えてくれなくていい」と。

教えるっていうことは相手がどう感じるかが大切だよね。その人が嫌な気持ちになてしまったら、教えて助けてあげたことには繋がらないよね、という話をし、どんな言葉遣いがいいのかの確認を。

 

そしていじめの話。これも「いじめはダメ」「自分がされて嫌なことは人にしない」ということはもう誰でもわかっているであろうことなので、パス。

それよりも、分かっていても自分のポジションを守るために、気づかぬうちに人を傷つけてしまう弱い心が誰にでもあることを確認し、ならばそんな心配をしなくても済むように、みんながみんな、お互いに支え合って助け合って高め合っていこうよ。「そのほうがずっっっといいよね!!」という話をして終了。

 

あとは係決めや給食の準備などで、その語ったことに対する良い行動をその都度その都度賞賛していきました。すると最初は、担任への「見て見てアピール」が強かった姿が弱まり、だんだんと周りも見て、声をかけたりするような姿が見られるようになっていきました。たった一日の中でも素晴らしい変化です。

 

ただ見ていて面白いなあと感じたことが、係や給食よりも、普通の授業の場面のほうがこうした姿が多かったこと。係や給食はどうしても希望が通らなかったりしてしまうので、利害関係が生じてしまう(本当はそんなことないはずなんだけれど)。だからなかなか頭では分かっていても行動に移しにくい。または意にそれた行動をしてしまう。しかし授業では特に利害関係が対立しないから、自然と助けあったりお互いを認め合ったりすることができる。これもまた素晴らしいことだと思う。

 

学期はじめはアクティビィを入れたりして少しずつ関係を構築していくことが多いけれど、実は普通の授業こそ学級開きにはもってこいなのです。