おもしろおかしくやるんべぇ~ゆとり世代も悪かねぇ~

THEゆとり世代。さとり世代とも言われる世代「ふたば」の見方や考え方、そして日々の学びをまとめたブログ。

円と縁。おもしろおかしいお金の話。

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先に申し上げておきますと、私はお金が大好きです。

いつもお世話になっております。ありがとうございます(^^)

 

 

ただ執着しすぎるのは嫌だなあと思い、手放す決意をするわけです。

それが昨年の大みそかでした。

 

いざ、手放す!

神社へと向かい、1年間のお礼参りをします。

そこで私は人生で初めて、「5円」とかではない額をおさめさせていただくわけです。

いくらにしようかなと思い、

 

「一万円、いってみるか!」

 

となったわけです。

ちゃんとのし袋にも入れました。

 

 

しかしです、いざ手放すとなるとあれこれ思うわけです。

もう未練たらたらです。

だって何かを買うわけでもなく、サービスを受けるわけでもありません。

良くておみくじとか売ってる巫女さんのバイト代かな、ってくらいです。

 

しかし今回の目的は、執着しすぎないこと。

ここは思い切っておさめさせていただきます。

まあおさめてしまえばもうその後はどうにもできないので、

ふっきれてすがすがしい気持ちで帰りました。

 

その後…

 年が明けると早速変化が!

 

夕飯や飲み代をごちそうしていただいたり、

ちょっと買おうかためらっていた本を貸してもらえたり、

とにかく変化が起きます。

 

まだまだ執着とは離れ切れていない私は、勘定を始めるわけです。

 

夕食代、1000円。

飲み代、3000円。

本代、1500円…

 

そんなことが続くうちに、

 

 

「あ、このままだと、一万円越えるわ」

 

 

と気づくわけです。

 

これまで自分は、いかに「人に与えられて生きてきたのか」と気づいただけかもしれません。

もしかすると一万円をおさめなくても、ごちそうしてもらったり本を貸してもらったかもしれません。そう考えれば金額的にはマイナスです。

しかし一度手放すことによって、「人から与えられるものは無償ではない。それなりの額を費やしている」と、施してもらえることのありがたさに気づくことができたわけです。

私利私欲のために手放してもダメなわけです。ありがたさに気づけないので。

 

 

それだけではありません。

いろんな人との出会い、「ご縁」もたくさんありました。

これはお金に換算できない。お金も大切だけれど、比較できない価値のあるものです。

「5円」で「ご縁」なんて甘い。

「一万円」いっちゃいましょう(^^)

 

さらにその後も…

以前「夜のツタンカーメン」というラジオ番組の中で「桜庭露樹」さんがおっしゃっていたこと「手放す」を今回実行したわけですが、その中で他のこともおっしゃっていました。

 

「与えられてばかりだと不幸が訪れる。マイナスであり続けよ。」

 

そんなまさか、と思っていましたが、現に手放した額に、施される額が追いつき始めているわけです。

やばい、手放さなくては。

 

ということで手放し始めます。

でも野口さんとかだと、あっという間に帰って来てしまうわけです。

なので樋口さんとか福沢さん単位で手放すわけです。

 

しかしです、帰ってくるペースが速くなり、一回の額も増えていきます。

野口さんが数人ずつ戻ってきます。

 

 

 

ある意味、お金に執着しっぱなし…

福沢さんを同時に何名も放出するような度胸もなし。

 

 

さあ、この流れは今後どうなっていくのでしょうか。

以上、おもしろおかしいお金の話。