おもしろおかしくやるんべぇ~ゆとり世代も悪かねぇ~

THEゆとり世代。さとり世代とも言われる世代「ふたば」の見方や考え方、そして日々の学びをまとめたブログ。

教育の効率性・コスパについて考えてみる。

働き方改革などが話題となり、教育と効率性についてのネット記事を読んだりもしたので、ちょっと深く掘り下げて考えてみようと思います。

 

結論から言うと

私は教育という行為は「効率的」とは真逆の「非効率」なものだと思います。

だから教育に「効率性」や「コスパ」を当てはめて考えている時点で、「どうなの?」という感覚です。

 

その理由を書く前に、まず教育において「効率的」とはどういうことか、はっきりと。

 

今回、「トラブル」などの対応を少なくすること。そして「テスト」や「行事」などでの成果を最大限出すことの二つを挙げ、この二点を同時に満たしている=「効率的」と考えたいと思います。

 

コスパを上げる

まず、「トラブル」の対処について。

 

一番労力がかからないのは、特段指導などをしなくてもトラブルが起きないことです。

まぁそれが良いのですが、だとしたら学校での教育の意味って何?って話になってしまいます。

 

次は、トラブルが起きないよう、未然に防止すること。これは事前の指導の結果、トラブルに発展しなかったのですから、教育の効果と言えます。「こういうときにはこうする」「こういくことはしないようにする」これらを意識することで、トラブルを起こさない集団となります。

 

しかし、よく「いいクラスの後は荒れやすい」なんて言われたりします。その一年はトラブルを起こさなかったかもしれませんが、翌年になるとトラブルが起こってしまう。集団の変化によるところもあるでしょうが、この状況が物語っているのは、「前の一年ではトラブルを起こさなかった」ということで、「トラブルを起こさない集団となった」わけではないということです。本当にトラブルを起こさない集団なのであれば、どんな状況でもトラブルを起こさず自分たちで考えて乗り越えていってくれるはず。そうならないということは、何かが変だということです。

このような場合、先の一年では効率的な一年だったかもしれません。しかし翌年は非効率な一年となってしまっています。二年のスパンで見た時は、結局どちらとも言えないという感じでしょうか。

 

そして最も「非効率」なのはトラブルが起こることです。でもこれが一番教育的だなと思います。

 

もちろん何でもかんでもやらせておくというわけではありません。事前に「これはOK」「これはダメ」などの最低限のルールやマナーは指導します。それから人権の侵害になるようなこと、心身に危害の加わるようなことは即ストップです。しかしそうでなければ、状況を知った上で、関係者から情報を得つつ、成り行きを見守り委ねるというのも大切なことだと思います。

トラブルが起きたことにより、自己中心的であったことを反省し、他者への気遣いなどが生まれたりします。そういう経験を重ねることで、トラブルが起きてしまった時にどのように解決していけばよいのかを学ぶことができます。そしてだんだんとトラブルを起こさないようにする術も見出していきます。

 

小学校でも中学校でも高校でもトラブルとは無縁。しかしそれは縁がなかっただけであって、きっかけがあれば誰でも巻き込まれうるもの。そうした時に、対応できるだけの力を身につけていなければ…

 

「まさかあいつがそんなことをするとは思わなかった」

 

世の中で起きている事件も、実際そういうことなんじゃないかと思う。

 

という風に考えたら、小さなトラブルが起き、その中で乗り越え方を学んでいくという「非効率」とも思える状況こそ、実は「効率的」な学習をしていることになっているのかもしれません。

 

 

テストや行事についても同じです。

上手くいくのは当然です。それだけの力が備わっているのですから。

実力のない人が中学校のテストで500点満点は取れません。取れるのはそれだけの実力がある人です。周りからも「あいつなら取れるよな」と認められる人。みんながそういう人だったら非常に効率的な学校です。でもそれは不自然です。

上手くいかない人がいて当然なのです。上手くいかないということは、自分の実力が不足しているということが分かる。その事実を受けて、不足部分を補おうと勉強をする。先の状況から比べれば非常に「非効率」。けれど、それが自然な姿。

 

行事はカットしますが、

教師主導で進めて成功しても、担任が変われば翌年以降には生きない、なんてことがあります。折り合いをつけながら泥臭くやったことの方が、集団の中に残りやすかったりします。

また上手くいった経験よりも、かえって失敗した経験から学ぶことの方が多かったりします。

 

 

どちらも、上手くいかなかった経験が、意欲へとつながり、将来大成するかもしれません。上手くいかない経験が多い人はそれが当り前なのでへこたれずに何事にも何度でもチャレンジできたりします。逆に順当に進んでいた人ほど挫折を知らず、最初に経験する挫折で折れてしまうかもしれません。

何を「効率的」とか「コスパ」とみるのか。こう考えるとよく分からなくなってきます。

 

そんな中での「効率性」とは

子供たちの学びは「非効率」な場面で起こることが多いです。ということは「非効率」な場面を増やすことが「効率的」につながるのかもしれません。

トラブルが起きそれを乗り越えていく、勉強につまずきそれを乗り越えていく、行事で上手くいかずそれを次に生かす、そういうことのできる「環境」と「時間」を確保することが重要だと思います。教師自身の心のあり方が問われます。対応に追われる時間も多くなりますから。

保育や教育に携わる者として、子供たちのこうした一見「非効率」な学びの環境や時間を設定できること、そしてそのためにはそれに向き合えるだけの時間的・精神的な余裕が必要です。その余裕を生み出すためにはそれ以外の事務的な作業などにおいては「効率性」や「コスパ」を求めていけそうです。そのあたりについてはいろんな書籍も出ているので割愛します。気が向いたら、いつか私なりのやり方を紹介する時が来るかもしれません。