「興味のある人なんていない!」 「ホント?」

国語は「興味のある人を紹介しよう」という単元の学習。まずは伊能忠敬の生きざまを学び、次は本などから自分の興味のある人を探しスピーチをするという予定の単元。

 

教科書の読み取りは終わったので、今度は本から紹介する人探し。

始める前に、「ところでみなさんの興味のある人って?」と問うと、

 

 

 

「別にいなーい!」

 

 

 

 

 

私個人としては、色んな人の生きざまのわかるような本を読むことが好きであるので、衝撃。

「えっ、いないの?」

 

ただ、よくよく会話の内容に耳を傾けてみると、普段から読書が好きで図書室に通う子も、伝記のような分野の本はあまり読んでいないということが分かった。

また本の探し方を観察してみると、自分の将来の夢に関わる人ばかり探そうとしていることが分かる。野球が好きな人ならイチロー。医療関係ならナイチンゲール

 

なるほど。「興味のある人がいない」のではなく、そもそも、それを判断できるほど「人を知らない」のだ。ということで今日は色んな人について伝記をひたすら読む時間に。こうして読んでみると、「この人ってこういうところがあるんだー」「読むまで全然知らなかった―」という感想、「生きた時代も活躍した分野も違うけど、願いは一緒なんだ」なんて感想が出てくる。

読み取りの方はだいぶ早く終わっていたので、こうやって読んで知る時間を多くとることができた。この子たちには、こうした時間こそ必要な時間だったのだ。表面的な言葉だけで判断するのではなく、その言葉の背景には何が隠れているのか。その裏にこそ、本質的なことが隠れていることが多い。『学び合い』ベースで取り組んでいると、こうした状況にすぐに対応できる時間の使い方やものの考え方が身につく。

 

だが根が深いなぁと思うのが、どうしてこうした考え方になっているのかということ。どこか、世間的に良しとされているような答えを出すことを強いられているような気がする。もちろんそういう場面が多いからなのだろうけど、せめてこの単元では、本当に自分自信が心から興味をもてるような人を見つけ、その生きざまから何かを学び、豊かに人生を送っていってほしいな、と思う。