おもしろおかしくやるんべぇ~ゆとり世代も悪かねぇ~

幸せ Society 5.0 『学び合い』教育2.0 革命と信用

違う角度から見つめ直すのも大事

今日はTOSSのセミナーに参加してみました。もともとは『学び合い』がベースである私。「教育技術の法則化なんて正反対なんじゃないの」と思われるかもしれない。いやいや、それは間違った捉え方であると声を大にして言いたい。

 

もともとTOSSも『学び合い』も願っていることは同じである。子供たち全員が立派に成長して幸せに生きていくこと。ジグソー、共同体…いろいろ教育法があるなかで、この理念が異なるものは果たしてあるのだろうか。

 

願いは同じ。そこに向かう過程が違うだけである。

 

と言っても正直に言うと、TOSSは「こういう指示や発問が良いものだ」と定め、どんな子供にも教員にも生かせるよう法則化されたものであり、いかなる場面もその法則でやろうとしていて、みんな同じようになってしまうのではないかというような違和感を抱いていた。しかし「子供」という子供はおらず、「教員」という教員もいない。結局はその場の状況に合わせて臨機応変に対応するしかないことも出てくる。それは、どんな教育のやり方でも同じである。世間での印象と実態の間には隔たりがある。

『学び合い』を知り、成果も出て、これこそ最善のやり方だ!と思っている人もいるかもしれないが、それはかえって『学び合い』を法則的なものにしてしまってはいないだろうか。逆にTOSSであっても、他の教育法に関する書籍を読んだり勉強会に参加したりして幅広い知見を得ようとし、色々と試行錯誤しているような人は、『学び合い』信者(こうは言われたくないですが、あえて使います)よりずっと『学び合い』的だと言えないだろうか。

 

ということで、私が本当に言いたいのは、TOSSと『学び合い』は比較するものではないということ。というよりも別物だと区別して考えている、そこが大きな問題だということ。

 

男と女で二分しようとするから性に関する差別が起こる。またLGBTなどの人が置き去りにされてしまう。そうではなくて、一人ひとりかけがえのない大切な存在だ、という認識が広がれば性に関する差別はなくなる。少なくとも今よりは絶対に減るはずだ。

 

いろんな教育法があっていい。自分が何を選択するかは自由。他者が何を選択しようと自由。共通の願いをもち、その実現に向けて取り組んでいればいい。そうして同じ方向を向けば、お互い切磋琢磨していき、よりよい教育がなされるようになるのではないか。

 

これから多様性がさらに広まっていく社会。率先して多様な価値観に触れ、それを巻き込んでよりよいものを提案していける存在でありたいと思う。『学び合い』をベースにしているのだから、なおさらだ。